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古城 いつも 歌集『クライム ステアズ フォー グッド ダー Climb Stairs For Good Da 』

東京 コールサック社(令和2年11月11日発行)



啓蟄とタイムラインを流れ来て幸とは常に登るきざはし
(巻頭歌)

投函の三日後葉書戻りきてあと十円のおきて切なし

書を捨てよ街へ出ようと促され生き延びた技まんざらでない

この指の紅き血吸えば玉いずこのお方にこころ委ねん

恋愛の世代を過ぎたこの頃は水を得たうおいやそれ以上

また遅れる武蔵野線をのんびりと待つ乗客の市民の品格

教科書の世界が全てマスカラの警官トーキューポリスハウスドール
(巻末歌)


奇才の微笑そして駆け抜ける航跡雲

依田 仁美(短歌人・舟・金星)

 純白の表紙にカナと英字で散開するタイトルは「ダー」と「Da」のみが赤い。恰も挑戦状、開けばぐいぐいと引き寄せることセイレーンの如し。読了して、果せるかな腑に落ちた。

この訳は「幸とは常に登るきざはし」、すなわち、冒頭歌の下句にある。「良き日のために階を登る」のである。
つまり「登る」が古城いつもさんのレゾンデートル、氏名を重ねて「登り続ける」と言い直すべきか。なお、「goodDa」は「goodday」、やや古風な「こんにちは」「さようなら」の意味もあることを考えれば、「幸」の陰に「離合集散」も潜めたか。コンピューター付きブルドーザーという譬えがあったが、古城さんはAI付きジャグラーである。目にとどめ難い言語のジャグリングの裏に知のトリックが秘められている。そんじょそこいらではない。

啓蟄とタイムラインを流れ来て幸とは常に登るきざはし


春先の今日現在的抒情である。時の間に間に流れ来て、啓蟄に至った。これから、階を登りたい心境にある。その先にはいつも幸せがあると信じている。

本来は書き下さずに、肌身で味わうべき歌である。この味わいどころは、一首に、時間的序列と空間的配列が共に詠われている点である。このあたりに建築工学者のエトスを感知する。焦点を目で追ってゆくと、現代語による抒情歌というべき新鮮味に達するが、これこそがこの一巻の身上である。

網膜に優しき夜のクリプトン抽象的なものに輪郭


夜の室内に点るクリプトン電球。その小さな管球が観念に輪郭を与え、優しい夜を演出するという。「網膜」「クリプトン」なる「理科言葉」の起用によって、却ってこの居住空間の「日常性」を演出できているのが興味深い。

自己分析もまた、独自である。


わたくしの中を錘が垂れているわたくしという絶対荷重


自己の肉体感覚を質量と見做し、さらにそれを、大地への「絶対荷重」と見立て直す。ここでもまた、現代語が、不思議に日常の香りを放っている。透視図法のような、建築工学由来を思わせる構築性また魅力である。

表現とは「何かを貫く」ことであり、人は「何かを貫く」ために生きている。主観的には「誰の真似もしないこと」、客観的には 「誰のものにも似ないこと」、この二か条を企図する短歌は光輝を纏い、読み手の感銘を濃くする。奇才の微笑がこれらを彩る。尋常の 逐語的な意味づけからの意図的な逸脱の成果である。


一月の空に山嶺浮かぶときここ浦安に詩的に関与


叙景の形を取りつつも自己を「関与する存在」と規定し直す。自己の取り扱い方がすぐれて印象的。この結句の用法ほどの度胸は当今稀有、つくづく古城いつもの短歌である。
難解とも見える歌は、絶妙な小技の指揮下、現代語を放縦に飛び交わせて真に愉快至極。

読者の脳の仕組みの中に分け入って、それ までの教養によって組み立てられている、ありきたりの判断に揺さぶりをかける、そんな冒険である。この歌人が居なかったらなかったであろう短歌が多くを楽しませてくれる。


飛燕とう美しき言葉携えて武道あらんよ拳を突いて


これは筆者好み。無条件で忘れられない。短歌もまた挌技なのだ。素直に同意する。

歌集は航跡雲。航跡雲は飛翔体の与り知らぬ、排出に伴う物理現象に過ぎないはずであるが、多くは無条件で美しく駆け抜ける。

批評特集―覇王樹2021年5月号転載


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