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渡辺 茂子 歌集『アネモネの風』

不識書院刊(令和3年5月) 新輯覇王樹叢書第231篇



帯より


言葉が無力化している時代に《アネモネの風》一巻はいきいきとして詩の永遠性に目を向けている!
作者は、「朝日新聞」滋賀歌壇選者

海渡る蝶のいのちに立ちつくす伊良子岬の白き渚に

本能と言ふは易しもアサギマダラ超えゆく海のはたて想へば

点となり波の上より消えたれど今は祈らむ蝶の運命さだめ

神島に集ひて越ゆとふ三千キロまさきくあれなまかなしき命

ひたひたと寄せくる波よ渡りゆく蝶のいのちに何と応へむ

鬼百合の反れる花弁に重ねたる詩歌の覚悟いま蘇る

     
          ✤


アネモネは未知の風ですいつもゆくシニア割引顔パスランチ
(巻頭歌)

結論は決まりてあれど問ひてみむアネモ ネの風未知のささやき

シンメトリーに図案繰りつつ織るビーズ この世の裏も見えてしまへり

捨つるもの留むるものも須臾にして抱き しむる命密 ひそ けし

降るごとき蜩に身は尖りゆく夕照の庭に ひとりしあれば

真向ひて食める葡萄のしたたりにあと幾 ばくの歳月恃む

紅きセーター編まむと思ふ山茶花の無数 に敷きて還らざる日々

残しし物並べみて片づける已ぬる哉や老いの繰りごと
(巻末歌)


 しんと赤かり

前川登代子(好日選者)

令和元年に出版された『湖と青花』はまさにブルーのグラデーションが続く美しい一冊 であった。しかし今回の『アネモネの風』は一頁目から次のような歌が並んでいる。

ネックレス非対称アシンメトリーにゆらしつつ君とは持たざり共通分母

女王蜂はいづこにもゐる片隅に無聊の羽根を閉ぢて開きて


同性への深い観察に基づく痛烈ではあるが、切れ味の鋭い、小気味良い作品である。
一首目の「共通分母」は同じ価値観と解すればいいだろうか。考え方や生き方の違いをアシンメトリーなネックレスに象徴させて、「不均衡」つまり相手への違和感を表出させておられる。

また「女王蜂」と喩えられた二首目の女性。「無聊の羽根を閉ぢて開きて」が何とも味わい深い。いつも取り巻きがいて、その真ん中にいないと自分を持て余してしまう。 鋭い眼力が核を射ぬいている。

朗読劇見に来られよと案内あない来る才女は常に変はり身速き


才女は才女ゆえに見極めが早く、次々と興味が移ってゆく。趣味には色々あるが、才女にとってプライドをくすぐる、知的でボラン ティアの要素も併せ持つ「朗読劇」。これを選択されたことが一首の肝であろう。

渡辺茂子さんとは、滋賀県歌人協会や、滋賀文学会でご一緒させて頂き、学ばせて頂い た。歌の批評においても、会の運営においても、疑問や提言をはっきりと口にされ、有耶無耶に終わらせるのではなく、理に適った言葉が潔い。信頼を寄せる由縁だ。その姿勢そ のままにこれらの作品はきっぱりと詠われて いる。

体中でハグをなしくるひとなりてたぢろぐ吾の消極性は


そして、これも渡辺さんである。いつも冷静沈着な方が、親しげに思いがけない行動をとる人に、たじたじとされているのが目に見えるようで、思わず頬が緩む。

鶏足寺への矢印はつか見えきたり霧に匂へるどくだみの花

信長の覇を競ひ合ふ町の衆山車華やかに春の左義長

抱きたき小さき猫の像ありて耳にピアスの金を光らす

雲井から勅旨とつづく駅名も雅なるかなローカル電車

立葵ひたに伸びゆき廃帝を守りし裔のぬか清かりき


いずれの歌も、県内の小さな旅を詠われた秀歌。特に一首目の霧の湿りによって、十薬の匂いが強くなるという感覚、五首目の最後まで廃帝を守った純真さを、末裔の人の清らかな額に見出されているところ。このように一つに焦点を絞って、旅の歌というより普遍 的な広がりを持つ作品に仕上げておられる。

詠むとふはかく切なくもかなしくてしんと赤かり冬の椿は


最後に渡辺さんの歌へのオマージュである一首を挙げさせて頂いた。歌詠みの業を「か く切なくもかなしくて」と詠われている。かなしいは「哀しい」というより「愛しい」であろう。冬の白一色の雪の中に、あるいはどんよりとした昏い景色の中にしんと赤く咲く椿の花。その鮮烈さに目も心も惹かれてゆく。 歌を詠むということ、また短歌というものの根源を、この椿に託して、ずばりと言い当てておられるのだ。

批評特集―覇王樹2021年12月号転載


覇王樹公式サイト