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大森孝一 歌集『老いの小夜曲』

現代短歌社刊(平成25年3月) 新輯覇王樹叢書第222篇



橋本 俊明(覇王樹同人)


私事ながら平成二十八年私は、胃痛に冒された。さらに翌年、愚妻が子宮体癌を罹患し、しかもステージ四ということで狼狽えた。そんな折、九十五歳を前にして、大森孝一氏から第三歌集を出したいと言ってよこされた。実は氏は二年程前から心疾患を病み、津駅前に泊まり込みの宿をとっての熱心な支社例 会出席も、欠席を余儀なくされるようになった。失礼ながらご高齢のこともあ り、このまま退会されると半ば諦めていたのであった。ところが昨年、突如と して「当分支社例会には出席はできないかも知れないが、歌作を復活したい」 と言ってこられたので大いに驚いたものである。さらにその後幾許もなく、地元老人保健施設でのある女性理学療法士との出会いが、歌作復帰、大仰にいえば人生の大転換の主因になったといい、穏やかなリハビリの中で詠みためた作品を第三歌集としてまとめたいと申し出られたのであった。既述したように、私も生活環境の変化もあって「断捨離」と手持ちの雑務を減らすことに努めて来たのであるが、この大森氏の申し出には一も二もなく、大賛成したのであった。
 
前歌集でも少し触れたが、大森氏との出会いは選を担当した朝日新聞の「三重歌壇」であった。先の戦争の愚かさと反省を、自らの回想詠として愚直に孜々として投稿されてきた。私は率先してこの珠玉の作品を採らせていただいたと思う。漢詩を長く嗜んでこられたところから、言葉に弛緩がなく、格調高いものであった。

その内、戦争詠は少し減り、亡くなられた奥様を詠われた作品が増えてき た。悲しいといえば悲しい歌ではあったが、そこに故人に対する愛情がしみじ みと溢れていて、ある読者からは「すっかり感動し、涙が堪えられなかった」 との手紙をもらったことがある。私は少し引き気味に「薄っぺらな愛情を振り かざしてきた自分には到底真似のできない、いい意味の老いたるセンチメンタ リストですね」と返事したものである。

今般の歌集『老いの小夜曲』は一女性理学療法士の言動に触発されたと聞かされたが、それはかつて拝見した「老いたるセンチメンタリスト」の尊い延長 線上にあると感じた。

それでは少し、実作品に触れて行こう。


迂閥にも声上げ笑ふわが口唇くちを素早く匿すメモのてのひら

夕時雨そそくさと去り立つ虹の跨ぎて遥か君住む辺り

老眼鏡忘れし如き心持なり君が在せぬリハビリテーション

再びの歌ごころ湧く菊月の小夜更けゆけば出づるオリオン

ゆく秋の小夜の窓辺につくねんと思惟の中のも一つの愉楽

平城山ならやまの曲になぞりて口ずさむ更け行く秋の「老いの小夜曲」

語らひの合間メモ取るスマイルは紛ふことなき君の天性

巡り来て試歩に寄り添ふつれづれにしがなき語りの中のやすらぎ

難聴のわが問ひかけにも穏やかに宥める口調の中なる母性

外城田川ときたがは流るるもみぢ掻き分けて連れ添ふ鴨の愛の羽ばたき


なんという純な歌であろうか。幼子の母性への憧慢のような歌、女学生の淡い恋のような気分もある。私にも経験があるが、老人や患者は概して我儘で独善である。日々の病床や穏やかなリハビリ、それを直線的に表に出さず、ストイックに歌作品にまとめた練達に敬服する。

他方、右のような優しい眼差しとは別の鋭い批評家の眼も随所に見られて本 著に緊張感を与えている。例えば、


還りしは尺余の棺頭髪と血の千人針二児を遺して

ラーゲリで蛇の生焼き舌鼓髭の猛者等のその後は知らず

竹島も斯くやありなむガス田の実績着着東シナ海

戦略は呉越同舟消費税幕下り空しき劇場政治

二億ドルが火種となりしイスラムに善意が届かぬ札束外交

縊られし非戦の国の虚を衝くか例へば竹島北方領土

堤防も蟻の一穴九条は際限もなき野に放たれむ

都合良く且つ姑息かな解釈が改憲ゾーンに迫る危機感

身の快癒待つこともなく車椅子駆くして官邸前デモの中

西新宿棲みつく都議会の魑魅魍魎責任不在を暴く薄化粧


これらは何れもスローガン短歌に陥らない、文芸としての一線を確保してい る。どの作品を見てもその結句にただならぬ格調と哀愁を感じるのは筆者だけ であろうか。「二児を遺して」「その後は知らず」「札束外交」「劇場政治」「東 シナ海」「北方領土」「野に放たれむ」「迫る危機感」「官邸前デモの中」「暴く 薄化粧」などなど。かつて先輩から、長辞は弔辞に通じ、縮辞は祝辞に通ずる と教えられたことがある。あえてそれを承知で最後に触れておきたいことがある。

著者は今春、九十五歳を目前にして所属結社の「覇王樹賞」に挑戦している。この賞はいわば新人の登竜門で決してベテランが応募する賞とは言えな い。大森氏ほどの実力者があえてこれに応募したことは称賛に価する。残念な がら結果は次席に終わったが、選者全部がこれに一票を投じ、講評を付け加えている。ある選者は「現実病者の迫力にたじたじとしてしまう。尋常一様ではない状況下で、場面を緊迫感のあるままに叙述して、重くゆらぎのない表現に作者の歌に対する矜持を強く感じさせる作品となった。ごつごつと何かにぶつ かる様な描写の力に不思議に自分の心が力を得たような気がしてくる」。またある選者は「作者の心臓手術の経験だが、麻酔の眠りの前後の意識下の歌を詠 まれているところが目をひいた」と述べ、さらに今一人は「動脈肥大の手術を受けた過程での不安と諦観が渦巻く心境を骨格太く適格にまとめ、力量を感じた」と言っている。私も手放しで一票を投じた。幸いにしてその時の応募作「蘇生」二十首が、ほとんど本署に収められている。九十五歳になんなんとする著者の風格を感じ、「気」を大いにもらったことである。


音たてて平常心が崩れゆく影像に見し動脈肥大

大腿は部品の予備庫抜き取りて胸の血管継ぎ替ふといふ

四肢伸ばし蛙の仮死の姿して股間剃らるる中夢に入る

止めどなく幻覚症状襲ひ来る黄泉への径を二度も三度も

夢うつつ己の意志に逆巻ける暴言悪態そして哀願

呼ぶ声に薄目開くれば影二つ子等に安堵し昏睡に入る

賽の川横目に見つつ戻りきて己がくさめに驚き目覚む

嚥みおろす力も萎えて粥食の一匙毎に呼吸いきを継ぎ足す

掌ゆ漏れし錠剤転がりて室の敷居の穴に隠れる

明日よりは自前の活計たつき葡萄酒を傾げて五臓六腑を浄む


かくて『老いの小夜曲』の演奏は終わった。きっと読者の耳にあるいは心の 裡に、かけがえのない余韻として心地よく快く、いつまでも響いていてくれることを信じ、そのことを念じて擱筆するものである。

平成二十九年九月吉日  坐忘居にて  橋本俊明


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