「最近芽生えた楽しみ」


今年の4月から実家で父と暮らし始めて、4か月。1つ生まれた変化がある。
それは料理をするようになったことだ。

私は大学から一人暮らしを始め、今年まで約10年間ほぼ一人暮らしを続けていた。
一人暮らしを始めた当初は、料理もしようと思い一通りの料理道具を揃えてはいたが、いざ一人で暮らし始めると、ピタッと料理をしなくなってしまった。
今でも覚えている。一人暮らしを始めた大学生活の1日目。前日までは「朝ごはんを作ろう」と思っていたのに、朝になったら時間はないし作る気もなくて「ま、いっか」になってしまった。その「ま、いっか」が10年間続いたのである。
これではいけないと時々奮起して料理をしようとするが、長続きはしなかった。
10年間を通して一番多くしたことは豆腐の蓋を開けることではなかったかと思う。

時に私の実家はペンションを営んでいて、母は料理人だった。母は約2年前にこの世を去ったが、母の料理は評判で、実家のペンションはリピーターも多く国外ではフランス、国内では沖縄など遠くから足を運ぶ人もいたほどだった。
そうした両親の教育方針もあり、我が家には小さい頃から当番制度があった。
洗濯干し当番、お風呂そうじ当番、床そうじ当番、そして料理当番だ。

確か毎週末だったと思うが、2つ上の兄と交代で料理当番をしていた。
私は、この料理当番にあまりいい思い出がない。
母は料理人であり、一流の知識や技術を持ってはいるが、感覚派であり人に教えるのはあまり得意でなかったように思う。
例えば野菜を煮込む際に
「何分茹でるの?」と聞くと、
「いい塩梅(あんばい)」とか「箸がささるくらい」とか「野菜が動き出したら」など言われた記憶がある。いい塩梅と野菜が動き出すは、経験がないので具合が分からないし、「箸がささる」は、刺さるものもあれば刺さらないものもあった。
母は自分の感覚で教えようとし、私は母の感覚に合わせようとしすぎてうまくいかなかったように思う。出来上がった料理に関しても、「もう少し塩を入れた方がいい」など意見を言われるのが失敗したと感じ、料理に窮屈な印象がついてしまった。
……と、言うのは後から付けた言い訳かもしれないが、なんであれ私はほぼ料理をしなくなった。

それからというもの、私の人生で料理というものは一つの壁として現れてきた。
料理はできた方がいいと思いつつ、自分の料理の腕に自信もなく、料理は基本的に人にしてもらうというのを10年近く続けてきた。

それがここ2カ月ほど、料理が楽しくなってきたのだ。
何が良かったかと言うと、自由にできる、と言うことだと思う。
子どもの時は、両親も教えてくれようとしてくれていたのだとは思うのだが「そのやり方じゃない」「そうじゃない」「これの方がいい」などど、自分がしたいようにできなかった。
しかし今、一緒に住んでいる父も私を年相応に見てくれているのか、それほど細かいことは言わない。自分で好きな具材を買い、好きな方法で料理させてもらっている。

私が気に入って使っているのが『クックパッド』というサイトだ。
これが便利で、どう便利かと言うと、例えば家に余っている食材を検索すると、その食材のレシピがバーッと出てくるのである。その中から作れそうなものを作る。
最近ではスーパーで買い物をしていて安売りになっている野菜を検索し、その他に使う食材があれば買って帰るという使い方もしている。
幼少期からの料理当番のお陰で、料理のイロハはそれなりに知識に入っているので、レシピを見た時にイメージが付きやすいというのあり、楽しんで料理をしている。

料理のレパートリーが増えてくると、レシピを見なくても作れるようになってくるし、応用も効いてくる。
今までは人の家に行ったら作ってもらうばかりだったのだが、人に作ってあげることもできる楽しみも増えた。
以前は「料理」と聞くと逃げたい衝動に駆られていたが、最近ではその衝動も減ってきて料理への壁が低くなってきたように感じている。

料理をするようになったら、日常の楽しみが倍になった。
最近になって開いた私の新たな楽しみである。

             【終わり】 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?