リリー

40代。福祉屋。地方出身東京在住。子どもは3人。

リリー

40代。福祉屋。地方出身東京在住。子どもは3人。

最近の記事

⑪告別式終了

斎場から再びセレモニーホールに戻る。 入口にお清めの塩が置いてあって、一瞬あれ?となる。 直後にスタッフがばたばた塩回収。 多分おっさまが指摘されたんだろう。 亡くなったらすぐ仏様になる真宗にお清めの塩という概念はない。 真宗にとって死は穢ではない。 短めのお経をあげていただき、最後に写真撮影。写真?!と思ったけど父は写真が大好きだったから祭壇バックにして全員で撮影してもらった。従姉妹たちは「口紅してない😭」と騒いでいた。コロナ禍あるある(笑) その場で万太郎が印刷してくれ

    • ⑩告別式(出棺後)

      ※火葬の詳細な話があります。 一族みんな長生きなもので市の斎場に来たのは25年ぶりくらい。 昨年母方の伯母の葬儀で行った東京の斎場よりだいぶ年季がはいった建物だった。 到着したあと流れ作業的に扉の向こうに入れられそうになって、えっ?!と思ったら母がすかさず「最後に顔は見られないんですか?」といった。この人のこの図々しさというか遠慮のなさはほんとに素晴らしいところだと思う。私は多分言えない。言えなくてずっと後悔するタイプ。 係の人は内心面倒くさかったと思うけど見られますか

      • ⑨告別式(出棺まで)

        通夜の夜、マジで喪服きて化粧したまま風呂も入らず爆睡してしまい起きたら7時だった。 孫代表の挨拶文を請け負っているのに!!弟から催促のラインが来るのを内心焦りつつ応答し、文章を作る。こんな感じで昔から弟の読書感想文や税の作文を請け負って小銭を稼いでいたのだ。父が亡くなろうと何も変わらない。ただし今回は大サービスでお代はいただかなかった。 孫代表の言葉と言いながら父の人柄が忍ばれて書きながら涙がでてくる。あんなに暴君だったのに!!死んでしまえば良いことばっかり思い出される。

        • ⑧通夜

          父を無事にセレモニーホールに送り出し、こちらはこちらで、若干きつめの13号の喪服に着替え、セレモニーホールに移動しなければならない。 悲しみとバタバタが交互に、時には同時に押し寄せる。泣きながらお金の計算をするのが喪るということなのだ。 セレモニーホールにつくと父は控室の畳に寝かされていた。いわゆる死化粧というのもされていたが自然な感じで、母の希望通りに髪の毛もかわいい感じになっていた。 家にいたときだんだん開いてきていた口も良い感じに結ばれていた。 不思議なもので耳たぶは

        ⑪告別式終了

          ⑦父の出発

          父は病院から自宅に戻ってきて、約2日間を自宅で過ごした。 昔は宴会に使っていた和室をぶち抜いて6畳側に父、8畳側にテーブルをおいてそちらで葬儀の打ち合わせをしたり昼寝をしたり、父の孫であるうちの子たちや甥姪ははじめは怖かったみたいだけど途中からは平気で和室に入ってきてお線香をあげてみたり鈴を鳴らしてみたり、走り回ってみたり。 みんなが適当に入ってきてちゃんと襖を閉めないものだから気づいたら室温が上がっていて焦ったりもした。 父がセレモニーホールに出発するのはお通夜の日の14

          ⑦父の出発

          ⑦仏式といってもいろいろある

          実家が一応仏教であるのは知っていた。 南無妙法蓮華経ではなく南無阿弥陀佛なのも知っていた。 母の実家は曹○宗で、お盆に実家にいたときと同じように野菜で細工を作ったら前のご住職からうちの宗派ではやらない、と言われた、というのも聞いていた。 枕経のとき、母が仏壇から首から下げる布?を出してきて、弟にこれをしてと渡していたがそれをみた記憶はあまりなかった。(略肩衣というらしい) 仏様に備えるご飯の形が丸ではなく円柱なのは今回はじめて知った。 はじめて知った話の極めつけは、父は亡く

          ⑦仏式といってもいろいろある

          ⑥訃報の知らせ方

          亡くなった日からお通夜まで中1日あるので時間的に余裕はある。なんならちょっとありすぎるくらいある。 お坊様(以下おっさま)は昨日も今日も枕経をしにきてくれる。葬儀屋の万太郎曰くなかなかないことらしい。 父のいる部屋は冷房を16度にして、万太郎もドライアイスを替えに来てくれた。 万太郎がきたときに、まとめておいた質問をする。はじめて親を送るのだ、わからないことだらけ。 新聞の訃報欄にも無事に掲載されていた。実家にいるときは毎日チェックしていたその欄に父が載るなんてなんだか変

          ⑥訃報の知らせ方

          ⑤故人の長女で喪主の姉

          人が亡くなって、ある程度の規模のお通夜やお葬式をしようとするとなかなか決めることがたくさんある。 コロナ禍とはいえお通夜には300人規模の会葬者を見込んだ。 葬儀は親族のみだ。 たくさんの決めなければならないことを「今すぐ」とか「今日中」とか「通夜の朝までに」とか期限にあわせて決めていかなければならない。 祭壇をどうするか。花の色や種類。棺の種類や色。遺影の写真。エントランスに飾る父の思い出の品探し。 香典返しの内容や会葬礼状の内容。通夜弁当の内容。 斎場での助六寿司の数

          ⑤故人の長女で喪主の姉

          ④父が自宅に帰ってきた

          我が家が実家に到着したとき、すでに父は病院から自宅に帰ってきていた。 実家は田舎のそこそこ大きい日本家屋だが、弟と葬儀屋さんの万太郎さん(以下万太郎と呼ぶ)の2人でストレッチャー乗せた父を運ぶのはなかなか大変だったらしい。 父は2つの和室をぶち抜いた6畳側に北枕で寝かされていた。すでにろうそくもお線香も設えてあって、「そういう感じ」。 昔母の親戚の呉服屋で誂えた、見事な紬の着物を着て、布団の上には揃いの羽織がかけられていた。 お疲れ様ねーと顔を触るとひんやりしていた。耳たぶ

          ④父が自宅に帰ってきた

          ③叔父さん葬式くるってよ

          しつこいようだが 「東京の娘さん」 であるわたしやその家族は病院に入れない。 急いでも仕方ないというわけではないが、午前授業の子どもたちが帰ってくるのを待って実家に向かうことにした。 新幹線を使ってDOOR TO DOORで3時間は近いようで遠い。 支度しながら、弟と手分けして親戚に連絡をする。 なんなら移動中も連絡を取る。 父方の親戚は疎遠だが存命している父の姉弟を無視するわけにはいかない。 尻込みする母となんとなく押し付けモードの弟にさせるわけにもいかず、本家を守る叔

          ③叔父さん葬式くるってよ

          ②父が亡くなったとき

          亡くなった日は土曜日で、わたしも仕事、子どもたちも学校がある日だった。 母は前日から病院に泊まり込んでいたが、朝連絡してみると、呼吸がゆっくりになってきた、という状況だった。 休んで実家に帰ったところで病院には入れない。 近いうちに何日か休むことになるだろう、そのときに同僚に迷惑をかけないように準備をしよう、と気持ちを切り替えて出勤した。 出勤してから30分もたたないうちに母からの着信に気づいた。それ以外に3回着歴も残っていた。 「お父さん、だめだった」 母の涙声だっ

          ②父が亡くなったとき

          ①東京の娘さんは故人の娘さんになった

          父が亡くなった。 糖尿病で長く闘病(というには実に自由にしていたが)していた父はケアマネが言っていた透析開始から3年経ったらヤマがくる、のヤマを見事に越えられずに亡くなってしまった。 コロナ禍において「東京の娘さん」は田舎の病院にとっては害悪でしかない。 そもそも今回の入院はシャントのオペのためで多分入った本人も生きて出れないとは思ってもみなかったと思う。 シャントのオペをやってもやっても通らず、そうこうしているうちに足の血行不良で傷が治らなくなり、壊死してしまってどうにもな

          ①東京の娘さんは故人の娘さんになった

          わがやのCOVID-19狂騒曲 その4

          家族5人のうち、末っ子が発症。その後私が発症。 私が医療機関で働いていて濃厚接触者であっても検査ができる環境にあったため、ここで2つの選択肢があった。 ①このまま逃げ切れると想定して残りの3人は検査はしない ②逃げ切れなかったことを想定して少しでも療養期間を短くするために残り3人も検査をする わがやは②を選んだ。 結果は上の子のみ陽性。 ここではたと気づく。あれ、先週火曜日にこの子微熱じゃなかったっけ。 火曜日から末っ子が発症した金曜日までの出来事を反芻する。 上の子大

          わがやのCOVID-19狂騒曲 その4

          わがやのCOVID-19狂騒曲 その3

          さて、末っ子の陽性確定ではじまった療養期間&健康観察期間。 まずは隔離が原則、ということで末っ子を和室に隔離。 とはいってもまだ3歳の末っ子の行動が読めないこともあるので、上2人もそれぞれの部屋に逆隔離。(…があとでわかったことだけれど感染対策意識の低い夫の采配と上の子のことが大好きすぎる真ん中が上の子の部屋に出入りしていたらしくこれがのちの悲劇につながる) 末っ子の世話は私が、上2人の世話は夫で分担。 末っ子以外は全員不織布マスク着用。(普段はマスクでも平気な末っ子だが高熱

          わがやのCOVID-19狂騒曲 その3

          わがやのCOVID-19狂騒曲 その2

          土曜日午前。末っ子小児科受診。 実は引っ越したばかりでかかりつけがない。 たまたま近所の小児科が発熱外来をやっていて、病児保育室も併設ということで今後のことも考えてこちらにしてみた。 自転車で行くか車で行くか迷ったが、発熱外来は外で診察というので、まだまだ肌寒いこの時期、待ち時間を考えて車で向かう。 十分な駐車場もあり、薬局も門前にあり完璧。 待ち時間もそんなになく、すんなり青空診察。 喉は真っ赤、症状は発熱と腹痛。 「このご時世だからね」と青空PCR検査。結果がでるまで2

          わがやのCOVID-19狂騒曲 その2

          わがやのCOVID-19狂騒曲 その1

          「お母さん、37.1あるんだけど塾やすんだほうがいい?」 火曜日の仕事中、長男からラインがきた。 思い返せばそこがはじまりだったのだと思う。念の為2日間塾の春期講習は休ませたものの、37度を超えたのはその日だけ。あとはちょっと鼻水がでているくらいで、木曜日に塾に行くにあたり念には念を入れてやった抗原検査はマイナス。花粉症か風邪だったかなとなんの疑問もなくスルーしてしまった。それで終わったはずだった。 金曜日の深夜、夜泣きなんてとっくに卒業していたはずの末っ子がお腹が痛い

          わがやのCOVID-19狂騒曲 その1