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あかんたれにいちゃん6

母から私へバトンタッチ

これ以上、兄が母に関わることは双方の崩壊につながると思い、兄には母との金銭の一切の話を禁止することにした。今後の返済の話も含めて、私が窓口になることを約束した。しかし、これが第2の悲劇の始まりだったのだ。
私のミッションは、両親の財産を1円でも多く、兄から取り返すことだった。
しかし、このミッションが私を狂わしていった。それはなぜか・・・。

パチンコをやったことがある人はわかるかもしれない。自分の資金を注ぎ込んでもフィーバーしない時、もうすぐフィーバーするのではないかと期待してしまう。取り返そうという気持ちが理性を狂わす。もうすぐ、もうすぐ、必ず取り返すことができる。。。こうして、際限なく資金を注ぎ込み、痛い目にあうのだ。
学生時代の私は、このことを嫌と言うほど味わってきたはずなのに、この心理に気づかずに泥沼にハマっていったのである。

人の心理というものは不思議である。自分のもっていたものを手放す(失う)
ことと、新しものを手にいれること。自分のもっていたものを手放す(失う)
痛みの方が大きいため、現状に固執する。諦めることができない。執着しておかしなことになる。
恋愛もそうかもしれない。仕事(転職)もそうかもしれない。かく言う私も、この心理で、一度大きな痛手を負った経験がある。

株で大損したあかんたれぼく

28歳で結婚し、かみさんの実家のすぐそばに住んでいた。かみさんの祖父母が住んでいた家が空き家になっていたので、そこにお世話になっていた。しかし、築年数も経っていたため、建て替えることにした。その頃、前職の特別退職金や財形などをあわせたお金を家の建て替え資金に使う予定で貯めていたのだが、建て替えを決めてから、ハウスメーカー選びから始まり、契約、施工までには時間があったため、その資金を少しでも増やそうと株で運用してしまったのだ。

本来、株などの運用資金は、余剰資金で運用することが基本であって、使途が近いうちに決まっている資金を使うことはNGである。しかし、少し増やすつもりが
ビギナーズラック的に順調に増えていき有頂天になってしまったのである。
このままもっと増えれば、家族にとってもいいことであると自分を納得させ、なかなか利益確定をしなかったのである。まあ、そんなうまい話は長くは続かない。想像すらしていなかったライブドアショックで資金が激減した。

人間とはおろかなもので、例えば50もっていたものが100になると、もともと自分は100保有していたと思ってしまうのだ。
だから100が50になった場合、もとの状態に戻ったと冷静に考えることができず、失った50を取り返そうと思ってしまうのだ。(少なくとも私はそうであった)
取り返そうと思うと、ギャンブル的な株に投資するという方向転換を迫られる。
今まで順調だったという根拠のない自信が邪魔をする。結果として私は資金のすべてを失ってしまった。だが、かみさんに話すことができないまま、待ったなしの状況に陥り、ついにすべてを白状し、かみさんに土下座して謝った。
その時、かみさんは、「調子に乗っているからいつかそうなると思っていた」と怒りもせずに冷静に語った。この時、私は「あなたに一生ついていきます」と
心の中で泣きながら叫んだのだった。

義理の父の想い

結局、住宅ローンを追加で依頼することになってしまった。その際、土地の名義人である義理の父に保証人になってもらう必要があり、すべてを話し、お詫びして了解を得た。そのはずだった・・。銀行での住宅ローンの申し込みに、義理の父に同行してもらった。行員から、登記簿上、土地の名義が一度銀行になるが、返済が終わればもとに戻す説明があった。一時的なことだからと理解してくれていると思っていた義理の父が、急に行員に抗った姿を見て、私は、なぜ?と理解ができなかった。
あとから義理の父から、娘二人(かみさんと妹)に平等にしたいから、一時的な名義変更でも、できればやりたくなかったという想いを聞いた。私は自分のしたことを深く悔いた。申し訳けなさと自分の情けなさに涙が止まらなかった。
私は二度と自分の両親と義理の両親を悲しませるようなことはするまいと心に強く強く誓ったのだった。
その経験もあり、両親の財産をなんとか取り返そうという思いが強かった。
そしてその思いの強さが私の判断を狂わせていった。

最初の貸付

兄から貸付の相談があった。決して貸し付けることはしないと思っていたのだが、惑わされてしまった。兄は、銀行から2本融資を受けていた。そのうちの1本の300万を返済すれば、新たに1000万以上の融資を受けられると市の信用保証協会の担当者から話があったと連絡してきた。担当者が自分になるかわからないので約束はできないがという前提だったが、セーフティーネットの対象業種でもあり新たな融資が下りる可能性が大きいという情報だった。
私は、その融資が下りれば、両親への返済金の確保だけして、あとは兄がどうなろうが関係ないと思い、勝負(今から思えば勝負だった)に出た。

弟に協力を求め、返済できなかった場合、兄との縁を切ることを前提に兄弟で
300万を兄に貸し、1本の融資を返済をさせたのである。(これについては、私のかみさんも了解してくれた)ところが、兄はメインバンクを通じて市の信用保証協会ではなく、県の信用保証協会に借り入れの申し込みをしたのだった。なぜかと問うと、メインバンクが市の信用保証協会との取引関係がないからだと言う。さらに、県と市の信用保証協会は、上下関係にあるため問題はないと言った。
この分野について門外漢だった私は、その情報を信じて、審査が通ることを待ったのである。私のイメージでは1~2ヶ月程度で審査結果が出ると思っていのだが、待てども待てども審査結果が出ない。メインバンクの担当者は審査中としか回答しない。あまりせっついては心証が悪くなると思い待つことしかできなかった。結果的には、約1年後に、担当者は審査は通らなかったと回答してきたのだった。

これには、さすがに頭にきた。駄目なら駄目だと早く回答してくれれば、次の打ち手を考えられたのに、良い結果を期待するばかりに、融資が下りる前提での
誤った決断をしなければならなくなってしまった。その結果、深い泥沼にはまっていくのであった。
私の想像だが、メインバンクの担当者が審査を通すために努力していたとは思えない。途中報告もほとんどなしである。引っ張るだけ引っ張って貸付金を回収することを考えていたのだと思う。銀行にお勤めの方には申し訳ないが、お金を貸す側という立場を利用したいじめだと感じた。本来は、企業を資金面等で支援するのが役目ではないのか・・・。もし、その役目を果たすのが難しいのであれば、企業の幕引きについても親身に相談に乗るものではないのか・・・。
日曜劇場の「陸王」に出てきた信用金庫の悪いイメージと重なり、その時から
銀行を見る目が変わってしまった。

取り返すという正義ではあったが、「利」を求めていたといえばそうである。
「利」を求めることが悪ではないが、「利」は人の理性を狂わすというのは、
古今東西の通説である。しかし、人は、他人のことについてはいろいろと気づくが、自分のことになると途端に無頓着になるのだ。この「利」という大義によって、私は自分の描いたシナリオを大きく踏み外していくのである。
                                 つづく


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