過敏性腸症候群ガス型女子のカミングアウト

わたしは過敏性腸症候群のガス型の20代女子である。誰にもカミングアウトしたことがない。それはひとえに恥ずかしいという気持ちにつきる。病気なのだから堂々としていればいいという人もいるが、この病気にかかればみなそんなことはいえなくなると思う。私が発祥したのは中学の3年頃、おなかが張り、ガス漏れがとまらなくなった。授業中お腹はぐるぐる大きな音を立てるわ、ガスは漏れるわで大変であった。そのころから、後ろの人がうわっくせぇ~という声に敏感になった。それは恐怖の声であった。自分でも必死になっておならが漏れないようにしているのに漏れてしまっている。本当に後ろの人には申し訳なかったし、自分でもなぜなんだと自分を責め続けた。病気の知識がなかったため、ひとえにおしりの穴の締まりが悪いのだと自己嫌悪に陥った。後ろの人がきまずそうな顔をしているのを見るのも辛すぎた。私はなんで生きているんだ。家に帰って人知れず泣いた。死にたいとも思った。人間を信じられなくなった。この闘いはいまでこそ落ち着いたが大学まで続いた。気を遣って気づかないふりをしてくれた優しい人もいたのだろう。でも、やっぱり冷たい人がおおくて、くっせ~まじで無理だわとか最悪。すかしてんじゃねーよ死ねよという心ない声もたくさん聞こえた。その度にもうだめだ。あーもう無理となっていって、最後にはうつになった。ごはんも食べられなくなり、母親に病院につれていってもらった。先生に話を聞いてもらい、心が少しだけ楽になった。わたしはとても敏感で、ストレスを溜めやすい性格なので、それが腸にストレスとして負担をかけていたのだと思う。病気だと名前がついたときの安心感はなににも例えがたかった。薬を処方してもらった時は本当に救われる思いであった。社会人になった今でもたまに腹部の膨満感を覚え、トイレにいきっぱなしになり、おならがとまらなくなってしまうこともある。でも、昔よりずっと楽になった。それでもやはり辛い。だから、私は将来結婚しない子供を産まないことにしている。気にしすぎたよという人もいると思うが、私は遺伝するのが怖い。親戚にも同じような人がいるらしいので、遺伝子レベルのものなのであろう。こんなにつらいのは私で終わりでいい。自分を責め続けるこの病気を呪いつつ、私はこれとともに生きていかなければいけない。誰しも苦しみはあるが私はたまたまこの過敏性腸症候群であったのだろう。だれかに打ち明ける勇気もないため、ここで打ち明けるが、これが同じような悩みを持つ誰かの救いとなれば幸いである。


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