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私が出来上がるまで(大学入学)43

父が消えて、家庭崩壊していったあの環境から私は少しずつ這いあがろうとしていました。
教育に関して興味のない母。
とにかくお金には厳しい母に、やりたいことをするための費用を出させることは難しいとわかっていたので、学生時代はとにかくアルバイトをがんばりました。
私の大学生活は社会勉強でもありました。

時間割が決められ、カリキュラム通りに乗っかっていた学生時代とは打って変わり、大学というところは自由です。
この自由というのがとても難しいと初めて知りました。
単位制なので、進級、卒業までの単位は自分で計算してとらないといけません。
好きな授業を選べるには選べますが、必須科目もあったり、全て好きには選べません。
しかも人気の先生の授業はすぐに埋まってしまい、取れないのです。
それでも選べることのできる自由は新鮮で大人への第一歩という感じでした。

自由→責任なんだと言うこともよくわかりました。

入学式を終え、英文科の教室に入ると、確か出席順に席が決められていました。
オリエンテーションのための教室だったのか今ではよく覚えていません。
そこで席が近かった、華奢でおとなしそうな子に何かを尋ねました。
何を聴いたのかは覚えていませんが、話しかけることはそこまで躊躇なくできる方だったので、私から声を掛けてます。
友達作りは、こう言った何気ない繋がりから始まります。
少し言葉を交わしただけで、もう他の人とは違います。
すでに私は彼女にロックオンでした。

大学はみんながバラバラであちこちから集まってきます。
滅多に知り合いなどいないので、皆んなが不安でひとりぼっちでした。
彼女はFさん。
九州からこんなに遠い学校へ入学し、寮に入っています。
寮にわたしも入りたかったので羨ましかったです。
寮に入っている人たちは生活を共にするので仲間になりやすいです。
自宅から通う生徒より友達はすぐに出来ていたようでした。

とはいえ、基本学校生活はひとりと言う感じです。
とても寂しいような、自由が嬉しいような。
学校の後は梅田で高校時代からの親友T子とバイトがあるので、2つの生活を持っているようでした。

学校生活はと言うと、授業は興味を持つものがなく、つまらなかったです。 
受験勉強をした2年間が人生で一番勉強しました。
大学ではほぼ勉強をしなくなりました。
しかしながらサークルには入りたかったので、一番興味ある、私が得意な『ローラースケートサークル』に入りました。
子供の頃、ローラースケートができるコースを河原に市が作ってくれていたので、友達と毎日のように滑りにいってたのです。
その時の衝撃的な想い出を思い出しました。

まだ小学5年生だったのですが、同じ学校の1年上の男の子に告られたことがありました。
近所の商店街の八百屋の息子です。
体格も大きく、やんちゃ坊主な子でした。
どうもヤンチャな子によくモテてたような気がします。
友達もいるのに、「付き合って」「オレの彼女になって」と言われました。
びっくりして逃げて帰りました。
そのことを帰ってすぐに母に言うと、母は「あぁ、八百屋の子やな。お母さん知ってるから言うとったるわ!何というませたことを!」と。
うちは父もそうでしたが、子供に対してはこういうことは厳禁で、ませたことを言うのもするのも許されない空気でした。
私が純粋培養で育ったのはこの親たちの厳格な教育からだと思っています。

そんな生まれて初めての、私としたら怖い思い出はあるものの、ローラースケートはよく滑っていたので久しぶりに楽しめると思い、軽く入ったのです。
そこには今でも仲良く繋がっているBっこがいました。
特にこのサークルにしょっちゅう行く感じではなかったのですが、このサークル主催で冬にスキーツアーが企画されました。

私はスキーは一度もしたことがありません。
興味津々です。
しかし、スキーはお金がかかります。
往復6時間近くかかる遠距離の交通費とお昼代、衣装代、遊興費を自分で捻ている身としてはかなり高額なのです。
しかもウエアも板もありません。
レンタルしましたが、ウエアは友達が貸してくれました。
このスキーツアーが面白かったこと面白かったこと。
まさに大学生活!!と言った感じだったかと思います。

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