見出し画像

価値観は刷り込まれている

「一重より二重がいい」

最近よく聞く風潮だ。
いつからこの風潮になったのかは分からないが、特に女性間で顕著だったりする。

優れた人間の基準である芸能人も二重が多い。

しかし何がいいのかよく分からない。

僕は二重だが、何の役にも立たない。傍から見れば眠そうに見えるだけだと思う。

これは刷り込みだ。

物事の良し悪しは刷り込みによって決まる。
不倫や大麻が悪だと感じるのは超自我※によるものだ。
(※常識や親の教えといった同調圧力、マインドコントロール)

それを鵜呑みにしすぎると、自分が本当にやりたい事や欲しいものが分からなくなるし、欲しいと思い込んで手に入れても、ずっとモヤモヤすることになる。

ルイヴィトンやシャネルといったブランド品⋯。

高級タワーマンション⋯。

学歴⋯。

レーシングカー⋯。

チャンネル登録者数⋯。

流行りのアーティストや作品といった褒められているコンテンツは良いものだと錯覚してしまう。多数派の支持しているものは、生存本能からか、自分が持っていないと不安や劣等感を覚える。

しかしそれは幻想だ。

昔、九百九十九匹の猿の国があった。

その国の猿たちは、すべて片眼だった。

顔に、左眼だけしかなかったのだ。

ところがある日その国に、たった一匹だけ、両眼の猿が産まれた。

その猿は、国中の仲間にあざけられ、笑われた。

思い悩んだ末、とうとうその猿は自分の右眼をつぶし、ほかの猿たちと同化した――。

自分の意思というのはあるのだろうか。
いや、100%は無いだろう。
 「選択肢から選んでいる」
と自分では思っているが
「選択肢から選ばされている
これが真実だ。

職業に就く際、女性なら風俗嬢やAV女優にもなれるが、世間体という圧のせいで選んでいない。
AVや風俗嬢に対して下品で低俗なイメージが無ければ、もっと数は増えていただろう。

暗黙の了解というのも行動を変えている。
規範や常識、法律の力は、どんな兵器よりも強い。

ここでポイントなのは、自分さえコントロールされている事には気づいていないというところだ。

僕たちは他人の評価によって行動を大いに変えられているのだ。

自分がやりたいと思ったことでも、他人からヒンシュクを買えば辞めるだろう。

たしかに周りに合わせていれば褒められるし、得もする。しかし超自我を優先し過ぎてしまうと、自分にとって人生がつまらなく感じる可能性が高くなる。

「褒められるけどなんかつまんないな」
「ひと通り色んなもの手に入れたけど、満たされない」

それは自分の手網を他に握らせているから。

承認欲求というやつだ。

行動する時に意識しよう。
「自分は超自我の奴隷になっていないか?」
「他者がいなくなった世界なら、自分は何がしたいんだ?」

人に評価されたいからやっている事が、僕らには沢山ある。しかしそれ自体は大した問題ではない。
人から評価されるものを、自分のやりたいことと混同してしまっているのが問題なのだ。


引用、参考サイト


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?