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人気者はたぶん幸せになれない

「スターは金もあって名声もあって、人脈もあって幸せそう…スターになりたい」
と大抵の人は思うだろう。

しかしスターは不幸だしストレスが溜まる。

自由がないからだ。

どこへ行っても人の目を気にしなければいけない。

自分で考えてみる。

クラスの人気者…美形だったとする。
小さな町なので顔も知られている。そして外出する度に声をかけられる。
そして休み明け、外出先を色々な人間に当てられる。

最初は良いが、1ヶ月ほどすればストレスでしんどくなると思う。

地元のスターでさえしんどくなるのだから、一流芸能人のストレスは想像を絶する。

定期的に超人気芸能人の自殺報道や引退発表が飛び込んでくるが、そういうような理由もあるのだろうか。地位や名誉と引き換えに、自由を失った…という事なのだろうか?

なんにせよ死人に口なしで、自殺理由や引退理由は本人にしか分からない。そしてなにより引退しても存在が消えるわけではないので、結局引きこもることになりそうだ。

知名度というのは不可逆なのだ。しかし評価はコロコロ変わる。人ひとりの顔を伺うだけで疲れるのに、大衆の顔色を伺いながら生きるのは辛いと思う。

そして結局肩透かしを食らうのだろう。
肩透かしというのは、理想や野望を持っていたのに、叶ったら野望が野望ではなくなった…であるとか、どれだけ業界内では有名になっても、一歩業界の外に出ると全く知名度がなかった…など。

人から認められようとすると際限がなくなる。
そして全ての人に知られるようになるのは無理だ。

今の時代は発信が容易だ。その分有名になるのも難しい。というか有名と無名の境目が分からない。
YouTubeでチャンネル登録者が200万人を超えていても、知られていないYouTuberなんてたくさんいる。

そして時期によっても変わる。今有名でも30年後は忘れ去られているなんてザラだろう。

人気者だろうとくすぶり者だろうと、夢の消失や自分の小ささに押しつぶされると、やはりしんどくなる。 

ここまで頑張って来たのに、求める結果が得られなかった…。その時の苦しみや絶望は、なんとなく生きてきた凡人より大きいだろう。

イーロン・マスクですら僕は最近知ったくらいなので、他の人なんて大して知らない。
だけどイーロン・マスクより全然お金持ちでもないし有名でもないのに、知っている人間がいる。友達や親、そして趣味の世界にいる有名人だ。この人もイーロン・マスクからしたら知名度も無いし大成もしていない。だけどこの人たちの方が魅力を感じるし、自分はプロフィールをよく知っている。
世の中とは不思議なものだ。

人間関係や、知っている世界は狭い方がいいのではないかと思うようになってきた。
大海を知っても蛙には無関係だから。
一生井の中で身内遊びをしていればいい。

自分はマックスバリュと部屋という狭い世界だ。しかしそちらの方が楽だ。
欲を言うと、中途半端に大海に適応させられた後で井の中にぶち込まれるなら、最初からこちらの世界がよかった。

インターネットが普及してから、世界は広まり、便利になった。しかしそれゆえ周りと比べたり、平凡恐怖を植え付けられることが増えたと思う。

今の日本はある種完成形だ。
戦争もなく、飢饉もなく、生活水準も高く、娯楽も豊富だ。
しかしその分、それだけでは満足出来なくなっている人間が多い。人間は卑しい生き物だから、もっと欲を出してしまうのだ。
弥生時代や江戸時代の人間はおそらくこんな欲望を抱かなかったと思う。抱いていたとしても、現代人程ではないだろう。

ネットも車もない。
それゆえ世界が狭い。
故に井の中の蛙でいられる。ネットで人と比較することもない。刺激も楽しみもあまりないが、その分焦燥感に駆られることもない。

技術を知るというのは、パンドラの箱を開けるようなものなのだろう。後戻りできない。一度欲望の味を覚えた人間は、死ぬまでその欲望に執着する。

僕もネットを知らなければ、知らなかった事が沢山あった。変に賢くなったが、生活が豊かにはならない。
満たされない。

noteも楽しいが、これこそ平凡恐怖のような焦燥感から強迫的に依存しているだけなのだろう。
僕のような夢破れて社会からもドロップアウトして、全てを諦めた凡人でも日々モヤモヤするのに、流行りの最前線で全力疾走しているインフルエンサーなんて相当ストレスだと思う。

なったことないから分からないけどね!

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