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悲観→客観

今までは他者との違いや不出来さを悲観的に見ていたが、これからは客観的に、冷静に見れるようにしたい。

何が違ったの?

時折インスタなどを見て、自分と全く違う結果になっている同級生を見ると、やっぱり「何が違ったんだろう」と思う。

マクお

以前は「キツイな」と思っていたが、最近は「何が違ったんだろう」と、自分を俯瞰している。実験対象のマウスのように。そうじゃないと気が触れそうだ。
この人生はゲームで、この肉体は《マクお》というキャラクターなのだ。俺ではない。
実験対象、観察対象を客観的に見て、他の人間と何が違ったのかを書き出す。

そーゆー役割

僕は《人から見下される》役割だと思っている。
集団行動は出来ないし、仕事も出来ないし、顔はブスだし、トークスキルもない。
学生時代からその片鱗はあった。不本意だったが。
これは能力的な問題だが、やはり周りと比べて違った。低かった。

「うつ病かな?」と思うことは、大抵の人はないだろうし、精神科に行こうとすることもないだろうし、そこで知的障害だと判定されることも無いだろう。

趣向

趣向も違った。
小学時代はモンハンにハマり、モンハンをやっていないと精神が不安定なほどになっていた。中毒だった。他の人はそんなハマり方はしていなかったと思う。
そして中学2年生くらいの時、格闘ゲームに出会った。
他の人は格闘ゲームを持っていても、ハマっていなかった。しかし僕はアーケードコントローラーを買うほどどハマリし、しまいにはゲームセンターに通っていた。

漫画家という職業も、周りの人は知っていただろうが、本気でなろうとする人間は俺1人だけだったと思う。その趣向も周りと違った。

noteをやっている人間も、同級生の中では俺ぐらいではないか?インスタやXはみんなやっていると思うが。

評価のされ方

同じ時期に始めた事でも、評価される人とされない人がいる。僕はされない側だし、上手くならない側だと思う。
上手くなる、ならないは《生まれ持ったもの》という結論が出るが、評価される、されないは違いが分からない。
何が違ったんだろう。
分岐点はあるはずなんだ。
それを《悲観→客観》では考えている。
まあ宝クジを引いて当たるか当たらなかったかだけの問題なのだろうが。
人生はいいことも悪いこともクジ要素、つまり運だったりする。

皆違う

だがそもそも人は皆違う。
僕の場合は髪質と太らない体質、胃腸が弱いゆえ口が臭い体質。目も悪くなりやすいし、アレルギーがある。
好き嫌いだってある。
うずらの卵やトコロテン。生うどんは体が受け付けない。
ついでにメンタルが弱く、ビビりだ。
これに+‪αプラスアルファで知能の低さがあるだけだ。

しかしこれらは皆違う。
知能に問題がなくとも、体に問題があり、癌になって早死にしたり、不妊に悩んだり、身体が動かなくなったりする人もいる。
それか、知能どころか形状に問題があり、気分や活動が極端だったりすることもある。
あとは同性が好きだったり、排泄物が好きだったりする人もいる。
これからも他人含め、客観的に観察していきたい。

少なくとも自分は社会の役には立たないし、人から好かれることも無いだろう。これは客観的に見てもそう。悲しむことはなくなったが。

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