多数派にとっての幸せは、自分にとっても幸せ?

僕は結婚式や葬式をするのが嫌いだ。
理由はよく分からない。注目されるのが嫌なのかな。
いや、人の時間を奪っている感覚があるんだろう。
葬式もそう。でも学生の頃は学校休めて嬉しかったから、学生には来て欲しい。
死んだあとは葬式じゃなくて、納棺師に身体を拭かれる方がヤダ。家族に拭かれるのも嫌なのに、赤の他人なんて絶対ヤダ。

幸せそうな人に嫉妬したり、気分が悪くなった経験がある。じゃあ自分がその人と人生入れ替わったら楽しいかと言われると分からんだろう。
よくよく考えたら結婚も、マイホームも、大金もいらない。世間にそう思わされているだけ。
 結婚式をしたいのではなく、幸せになりたい。行為と目的をごっちゃにしてはならない。他人が幸せになる行為と、自分が幸せになる行為は同じようで別。人は皆違う。
 他人が「面白い」と評したエンタメ作品に触れた時、全然楽しめなかった経験がある。
やる人やる人みんな「面白かった」としているゲームがだ。
…題名書いちゃうか!
WHITE ALBUM2というノベルゲームなんだけど、主人公に感情移入できないし、黒髪ヒロインも性格が悪すぎるので、3時間ほどでギブアップした。
まわりの高評価が嘘だとは思わない。しかし、WHITE ALBUM2をプレイする層に偏りがあるからゆえだと思う。
格闘ゲームをプレイするのは、ほとんど格闘ゲームのファンだけ。ノベルゲームを買うのは、ノベルゲームが好きな人間だけ。だから評価も(その分野が好きな人がプレイした結果)高評価を獲得したという話だと思う。
PowerWash Simulatorというただひたすら掃除をするだけのゲームもそう。レビューが星5マックスだったのだが、僕は虚無過ぎてギブアップ。
これも元々掃除好きなゲーマーしか買わないから、評価が極端な結果になっただけで、普段ゲームをやらない人間や、RPGばかりやっているゲーマーにやらせれば、星5マックスレビューは間違いなく崩れさる。
 外食店に置き換えてもそうだろう。ラーメン屋に行くのはラーメンが好きな人だけだし、風俗店に行くのは、性欲が溜まったノンケの男性だけ。生存バイアスというのだろうか。戦争で生きて帰った経験を語り継げるのは、生きて帰ってきた人だけ。それを「戦争に参加した全ての人間が帰ってきた」と結論付けるのは間違ってる。
全人類をラーメン屋や風俗店に行かせると、また違った評価になる。
それこそnoteもそうだね!
noteをやる人は、活字アレルギーが無い人だろう。
活字アレルギーのある、漫画しか読まないような人がnoteに触れたら、また違った評価をnoteにするだろう。

過去に進撃の巨人をつまらないと評している人間がいた。
ビックリしたけど、確かに普段マンガやアニメに触れない人間からすると、進撃の巨人なんてただのグロテスク漫画だろう。
YOASOBIとかも、おじいちゃんおばあちゃん世代が聴いたら、良さが分からないと思う。逆に僕らが水戸黄門観ても、毎回同じでつまらない。

 結婚式も同じ。合う人と合わない人がいる。
よく結婚をしているかどうかでマウントを取る人がいるけど、それは《進撃の巨人は全人類にとって楽しめる漫画》と思うこと同じ。
マウント取ってくる人は《結婚が全人類にとって楽しめる行為》ということだと思っている。
結婚したからといって、楽しめない人もいるわけで。遠野なぎことか見てるとね…。

同じ価値基準で生きている人間はいない。
ルールの定義としては同じ基準があるけど。
《人を殺してはいけない》とか。1万円の価値は誰が見ても1万円だし。
だけど、1万円を多いと考えるか、少ないと捉えるかは千差万別。
「メイウェザーじゃん!!」
「大金!」
「ちょっと大金」
「はした金よ」
「雀の涙www」
大袈裟でもなんでもなく、みんな見え方は違う。

進撃の巨人もWHITE ALBUM2も同じ。
「神」
「面白い」
「グロい」
感じ方様々。

同じ感じ方が無いということは、幸せの土俵というのも本来無いはず。人によって基準が違うから、相撲がとりようない。異種格闘技戦。

自分だけの格闘技で、自分だけの幸せと戦おう。どんな行為が自分の幸せに繋がるかは自分で見つけなければいけない。他人の幸せな行為は、WHITE ALBUM2のレビューくらい参考にならない。

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