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キツさグラデーション

「君は辛いかもしれないけどみんな辛い」
「甘えだから」

とよく言われる事があった。
ネットでもそういう意見はある。

可視化できないから比べようがない。

というのが僕の意見。
で、これをもっと深堀りしていこうと思う。

たしかに皆ストレスはある。多かれ少なかれ。個人差。
多かれ少なかれと言うが、多いとキツいだろう。

ゼロヒャクは無いが、傾向が強くなることはある。

分かりやすいのは気温

「みんな暑い」
「みんな寒い」
といえど、25度と45度ではどちらも暑いが、45度の方が確実に熱中症の確率は上がる。
7度と−2度でも両方寒いが、確実に−2度の方が凍死リスクも上がるだろう。これも《多かれ少なかれ》であり《みんな暑い、寒い》ではある。

でも深刻度は全然違う

っていう。
凍死寸前の「寒い」か、ストーブつけようか迷う「寒い」…ひと括りにしていいのか?

そしてその感じ方の違いは、時間に左右される。
一瞬なら同じくらいかもしれない。でも時間が経ってくると、暑さなら発汗、そして脱水症状、最悪熱中症の分岐、寒さなら風邪や低体温症、最悪凍死の分岐に関わってくる。
この分岐は温度差と時間差によって確率が変わってくる。
熱中症ならより暑く、低体温症ならより寒くなるほど、そうなる確率が比例していく。
そして両方とも経過時間が長いほど悪い方に分岐、進展しやすくなり、最悪に派生する確率も上がる。
個人差さえあれど、長く、極端な温度の方が悪い方に確率も寄っていくのは間違いない。

という例から分かるように、ストレスも多いか、晒されている時間が長いと、メンタルがやられやすくなる。


僕は仕事ができないんだけどさ、当然そうなると仕事ってキツくなりやすいじゃん。
「みんなキツい」
「みんな我慢してる」
とは言っても、前述の暑さ寒さと同じように程度があるから!
同じ「寒い」でも「めっちゃ寒い」と「まあ寒い」じゃ違うしょ。
こういう説教垂れる人は、皆が同じしんどさでやってないことに気付いてない。
まあ、気付くのが良いのかは分からんけど。

程度が違う

全ての人間に好かれる人はいない。だけど全ての人間に嫌われる人もいない。
だけどほとんどの人に嫌われる人はいるよね?
ゴキブリを飼う人は滅多にいない。でも猫はザラにいる。ゴキブリが好きな人や猫嫌いの人もいるにはいるだろうが、希少だと思う。少なくとも僕はそんな人見たことがない。
人間版のゴキブリになったらキツいだろう。世界のどこかに自分を肯定してくれる人間がいるのだろうが、身の回りにはいない。グラデーションであることは分かっていても、孤独を感じてしまう。

末路としては色んな人に嫌われ「自分がおかしいのかな?」と自らを疑い始める。
これが自己嫌悪を生み出して、人間を内側から破壊していくのだ。

自分は間違っている…

こうなると終わり。

多数派だと解釈してるうちは「自分が間違っている」なんて考えなくていいからね。


時事グラデーション

最近気付いた。
知名度もグラデーションだ。そして結構差がある。
鳥山明が亡くなった時、かつて無いほど話題になった。
公式Xではいいねが90万以上付いていた気がする。
色々な業界から追悼コメントも届いていたし。

演歌歌手の八代亜紀や、ゲーム解説者のなないが亡くなった時は、さほど波紋は広がらなかった。
八代亜紀やなないも、僕ら庶民からすると十分な成功者だ。なないは若い世代だけだが、八代亜紀の方は広い世代に知名度もあるだろう。
もっとアングラな有名人も、結構亡くなってるんだろう。知られてないだけで。

これらを見て、逆鳥山明もいるということだな、と思った。知名度と人気度がそのままひっくり返った立場。
全ての人に愛されたというのは、鳥山明でも無理だが、ほとんどの人には愛されたし、知られた。 
逆鳥山明の立場になる人も、全ての人から嫌われるわけではないが、ほとんどの人から嫌われるし、そもそも知られてない。生きてても死んでてても同じ。死んだことにさえ気付かれないし、身元も知られない。

鳥山明は宝くじスーパー1等賞。めちゃくちゃ幸運だった。
日本史…いや、世界史に遺る大出世だ。
大きな幸運があるなら、大きな不運もあるということ。
光が濃くなれば、闇もまた濃くなる。
考えたくもないけど、地獄巡りをしている人間がいる。それもグラデーションだけど。
ぬるま湯地獄から、灼熱地獄まで程度がある。
この世はグラデーションなので、完全な地獄は無いが、ほぼ完全な地獄がある。
日本のトー横とかは地獄絵図だが、ガザ地区とかはもっと地獄絵図だろうし。

天国も地獄も、《もっと》を見るとキリがない。

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