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短編小説 この愛すべき最低な世界

祥平はもう何日も食べ物を食べていなかった。
頬は痩せこけ、目にも精気がなかった。
部屋は電気もガスも止まり、水だけがまだ飲む事ができた。

祥平が会社をクビになってもう3ヶ月が経つ。
祥平は、大学を卒業後、新卒で入った会社を1年で辞めた。
その際、父親と大喧嘩をし、ほぼ絶縁状態となった。
母親は、祥平が大学1年の時に他界していた。

その後、倉庫作業、引越し屋、オフィスの掃除等様々な仕事をしたが、人間関係のトラブル等もあり、どれも長くは続かなかった。
最後にやった仕事はオフィスの掃除で、これはほとんど人としゃべらなくて良いため、翔平の性に合ってるかと思われたが、業績不振に伴う人員削減で、アルバイトであった翔平はクビになり、無職となった。

そこから3ヶ月が経ち、貯金も底をつき、祥平は人生に絶望していた。
もうどうすればいいか、全く分からなかった。
どうにかしようという気力も湧かなかった。

その日、翔平は3ヶ月ぶりに部屋の外に出た。
季節は春になっていた。
本来、気持ちの良い季節のはずだったが、翔平の心は全く動かなかった。

祥平は、なぜ外に出たのだろう。
死に場所を探していたのだろうか。

祥平が痩せ細って、目にも精気がないため、人々は祥平を避けた。

大通りは人が多いため、細い通りに入った。
歩いていると、道端にうずくまっている人がいる。
お腹の大きな女性で、どうやら妊婦のようだった。

祥平は思わず声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「う・・・生まれる・・・」
「・・え?」
「う、生まれる・・病院へ・・」
祥平は慌てた。
携帯はとっくのとうに止められているし、そもそも今は持ってさえいなかった。
とりあえずタクシーを捕まえて、病院へ。
そう思うと、ふらつく体で走って、大通に出た。
大通りで、手を上げてタクシーを捕まえようとする。
なかなか空車のタクシーが来ない。
来ても、翔平の見た目のせいか、止まってくれない。
ようやく、一台のタクシーが止まってくれた。
運転手は70才位に見えるおじいさんだった。
「は〜い、どこまで行きますか〜?」
「あの!一番近くの病院まで行って欲しいんですけど!ただ、妊婦さんを乗せて欲しくて!近くにいるので連れてきます!」
「え〜、なんですって〜?」
祥平は声を張り上げた。
「あの!病院まで行って欲しいんですけど!とりあえずちょっと待ってて下さい!」

そして翔平は走って妊婦の元に戻り、肩を貸してタクシーの所まで連れて来た。
「あ、ありがとう・・・すみません・・」
「いえ」

タクシーに妊婦を乗せ、大声で病院まで行って下さいと言い、タクシーは発車した。

タクシーの中で、祥平は妊婦さんに話しかけた。
「旦那さんに連絡しますか?」
「いや・・いいんです・・というか、旦那、いないんです・・」
「あ・・そうなんですか・・」

病院に付き、妊婦さんは分娩室に運びこまれた。

病院の職員に
「旦那さんですか?」
と聞かれたが、
「いえ、違うんです。ちょっと成り行きで」
とだけ答えた。

祥平が分娩室前の廊下の椅子に座って待っていると、医師がやってきて、
「生まれましたよ。元気な男の子です」
と言った。
「見て行かれますか?」
「・・はい・・いいんでしょうか」
「田中優子さん、お母さんですが、もそれを望んでおられます」

祥平は分娩室に入った。
赤ちゃんはこの世に生まれた事を全力で主張するかのように、全力で泣いていた。
優子は、疲れてはいたが、菩薩のような顔で微笑んでいた。
「ありがとうございました。おかげさまで無事出産する事ができました」
「いえ、僕は何も・・」
「・・・。この子も、大変な時もあるかもしれないけど、幸せになってくれたらいいなと思って・・」
その言葉を聞いた瞬間、翔平の脳内に、子供の頃の情景がフラッシュバックした。
それは翔平がまだ5、6才の頃、朝、布団の中で目を覚ますと、ふすまの向こう側の台所から黄色い光が漏れている。
母親がまな板で野菜を切る音、お湯が沸く音が聞こえる。
また別の瞬間、夜、翔平が布団で眠りそうになっていると、光が漏れている向こう側から、母親が襖を閉める。
「大丈夫?」
「あ、大丈夫です。すいません」
「あなた、お名前は」
「金田です。金田翔平」
「金田さん、金田さんも、もしかしたら大変な事も多いのかもしれないですけど、どうか、世界を恨まないで。死んだらお母さん悲しみます。生きていれば、色んな事があるけど、いい事もきっとあります。だから、どうか、希望を捨てずに、生きていって」
「・・・」
「ね」
「はい・・ありがとうございます」
翔平はうつむいた。
病室に、夕日が差し込み、彼らを優しく包んでいた。



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