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ご飯憧れ

「韓国に一人で行った深田恭子が赤くて辛そうな鍋に豆腐が入っててめっちゃ熱そうでフーフーしながら長いスプーンで食べてて美味しそう」

後にそれが、その年はサッカーWカップ日韓共催の記念で日韓共作ドラマ企画に深田恭子とウォンビンという韓国人が出演していて、それが「フレンズ」という国際恋愛のドラマで、韓国料理のスンドゥブという辛旨スープに豆腐が入っていて韓国には柄の長い銀スプーンがあって、ということだったのを知るのだが、小学生にして韓国語の本まで買ってしまうほど韓国という国にのめりこんでしまったのは、第一韓流ブームと言われている「冬のソナタ」放送の実に2年前であった。

昔から、料理が出てくる映画やドラマが好きだった。
新幹線の通っていない四つの県からなる大きな島の端っこで生まれ育ったあたしは、テレビの向こう側に映るご飯の匂いに誘われ、魚のすり身と魚のあら汁が並ぶ食卓で、スパゲッティではなくてパスタ、ちゃんぽんではなくて中華そばでお腹をすかした。

耳をすませばの一人前ずつ土鍋に入っている鍋焼きうどん
渡る世間は鬼ばかりの幸楽ラーメン
セーラームーンのクリームがのった原宿クレープ

県庁所在地からはるか離れた地域での生活ではとにかく食のバラエティに限りがあって、テレビに毒されたあたしは日本どこかの多分東京にある味わったことのないそれに、憧れていた。
それでも母はタルタルソースとかフレンチトーストとかカルボナーラスパゲッティとか、今思えば昭和の終わりから平成の初めにしては、乳製品たくさん使ったハイカラなご飯を作ってくれたのだけど、それとこれとは違うのだ。

一人暮らしを始めた頃から少し都会に出て好きなものを買えるお金を持って、時代は便利になった。好きなものを好きな時間に食べられることはもちろん素晴らしいことだった。自転車で10分以内には生パスタ専門店があってそこではステーキだって食べ放題だったし、15分ほど並ぶ薄焼き煎餅のようにパリパリのクレープはバターと砂糖の味を楽むのだった。周りには、美味しいものに溢れていた。

だけど、あの頃の憧れはとうとう憧れであり続けるもので、やはり今でも「求めている味」が淡い嗅覚の中に染みついている。どんなに口コミの良い人気店でも、給料日に頑張って行くような高級店でも、求めているそれに及ぶことは決してないのだった。

大人になってBSで東京ごはん映画祭というものが放送されていて、あたしはご飯憧れを起こした。おいしいご飯が登場する映画を放送する企画だったのだろう、忘れもしない是枝監督の『歩いても歩いても』のとうもろこしの天ぷら。お盆が過ぎた時期に家族が実家に集い、とうもろこしを一粒一粒をむいて、樹木希林が手際の良すぎる親戚のおばさんにそっくりの台所姿で、ポンポンと跳ねる油を気をつけながら揚げるとうもろこし。お醤油をちょっと垂らして食べるという。

夏に実家に帰った時に、やってみた。

あたしは天ぷらを揚げるのは初めてだったし、母は天ぷらといえばエビか芋かナスのような人だったので、とうもろこしを天ぷらにする聞いて「もったいない」と不機嫌そうだったけど、向かいの野菜を作っているおばちゃんから、娘が帰ってきているからととうもろこしをもらってくきてくれた。母は失敗したらもったいないと天ぷら用は1本しかくれず、いつも通りの茹でて食べるためその他は大事に冷蔵庫に入れてしまって、あたしは少し不機嫌になりながら、一つ一つ粒をむいたのだけどこれがとても硬かった。とうもろこしはそんなに跳ねなかったが、やっぱり甘くてとても美味しかった。母も食べてくれたけど、やっぱりとうもろこしは茹でた方がいいと頑なで、それから母が作ることはなく、突拍子もない娘が帰省した時にだけ娘が作るハイカラ料理として定着した。

そこに実感があるご飯はあたしの映画ご飯。

ご飯憧れを起こしたあたしは名言する。とうもろこしの天ぷらは、本当に美味しいのだけど、あたしの治らない憧れの延長線にあたしの実感が付与されて、少し苦い味がする。奇しくも「歩いても 歩いても」の中でもとうもろこしの天ぷらは家族の厄介な思い出として、美味しいの裏側にある人生のほろ苦さが含まれている。だからこそ美味しそうで、憧れちゃうんだな。

例えば、仕事終わってお疲れとか、喧嘩してしんどくなった時とか、笑ってやり終わらすしかない時とか、

あの瞬間に食べたなあのご飯

そうやって思い出される、そんな美味しい瞬間があたしの人生にもあるなあって。きっとこの先も、それを食べるたびに、ちゃんと思い出す。
また、食べなきゃな、とうもろこしの天ぷら。



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