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武器輸出三原則も佐藤じやなかったんですか。あれは三木武夫ですね。対共産圏輸出規制委員会のココムの取り決めで共産圏には武器輸出できないというのを、どの西側諸国にも出してはいけないと言い出したんです。バカな宰相は多いけれど、三木はとびきりバカだった。

2020/10/23
2020-03-24に発信した章である。
以下は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之と世界有数の中国通である宮崎正弘が対談した下記の素晴らしい本からである。
この本は日本国民が今すぐに最寄りの書店に購読に向かわなければならない本である。
世界の人達にも必読の書であるが、それは私が出来るだけ伝える。 

日本はグアンタナモだらけの国
宮崎 
岸信介さんに時代を移せば、岸さんの功績は日米安保条約の改定です。
岸さんの外交は完全な対等ではないけれども、より対等に近い安保条約に改定したというのは、外交上の貢献と見ていいと思います。

高山 
日米安保条約改正は、キューバを考えるとわかりやすい。
キューバはアメリカの脇腹に突き付けたナイフみたいなところで、だから抑え込んで外交権まで奪った。
キューバの民が再起してアメリカ軍を追い出そうとしたらすぐに反撃できるようにグアンタナモ基地を置いていた。
日本もまったく同じ事情で、日本が完全独立してアメリカに盾つく気配が出たら、すぐとっちめられるようにアメリカが基地を置いている。 
首都東京のすぐ後ろに横田や厚木があるのは速攻して首都を制圧するためだ。
要するに日本は、グアンタナモだらけなんです。 
そのキューバを近隣のハイチやドミニカが攻めたとしても、米国は黙って見ているだけ。
それが最初の安保条約当時の日本の状況だったわけです。
米軍基地は日本が再起し独自に動き出さないようにする見張り所で、日本を守るためじゃない。
おまけに憲法で丸裸にしている。
だから、せめて外敵が攻めてきた時ぐらいは防いでくれよというのが岸の安保改正だったわけです。 
昔、アメリカの太平洋戦略における彼らの戦略中枢線は、ハワイ、グアム、フィリピンのラインでした。
しかし、沖縄のほうがよりセンシティブなポイントだから、アメリカはフィリピンを捨てて、ハワイ、グアム、沖縄に変更した。
自分たちの都合でそうして、沖縄のバックアップ体制として、通信傍受用の巨大アンテナである象の檻も青森の三沢基地の近くにつくった。 
ビル・クリントンが中国へ行く時に、無断で三沢を使っていました。
いくら給油のためのテクニカルランディングとはいえ、「日本に来たならちゃんと挨拶してから行けよ」と言いたくなる。

宮崎 
トランプも日本に来る時は、横田基地に降りるのが多いですね。
横田基地も、まだ返還されていません。

高山 
横田はアメリカの玄関口ですから。
横田から六本木まで通勤ヘリがあります。
六本木のすぐ近く、昔、二・二六事件を起こした麻布三連隊の裹にヘリポートがある。
そんなところに横田直通コミューターを持つなんて実に主権国に対して失礼な話ですけどね。

宮崎 
昔のヒルトンホテルの後ろの山王ホテルは、完全に治外法権でした。
それがいまは広尾に移ってニュー山王ホテルになっている。
いまも日本人はパスポートを見せなければ、あそこには入れません。
しかもニュー山王ホテルの中で流通しているのはドルです。
だから、日米安保条約をもう一回改定しなければいけない。
岸首相は国会をデモ隊に包囲されて反対された。
しかも、日本はアメリカに対して発言権ゼロだった。
だから岸さんには外交力があったという評価になる。 
それが佐藤栄作になると何を評価したらいいんでしょうか。
何もないでしょう? 
沖縄返還ですか、非核三原則、あるいは武器輸出三原則。

高山 
沖縄返還は格好だけは沖縄を取り返したということですね。
基地は残して施政権だけを返還した。

宮崎 
アメリカはもう施政権を返したくてしようがなかった。
高山 
そう。
沖縄市民が箸にも棒にもかからなかったからですね。 
三代目の高等弁務官で来たポール・キャラウェイが、とにかく沖縄を日本人もうらやむ別天地にしようと言って、沖縄にものすごく投資をした。
医薬品もどんどん投入した。
そういう資金が琉球銀行などに行くんですけれど、いっこうに発展しない。 
で、キャラウェイは、琉球銀行を始め大手の銀行、保険会社を強制捜査してみたら、銀行の幹部たちが資金を全部ポッポしていた。
沖縄の両班階層だけを潤していた。
で、琉球銀行の幹部の首を全部挿げ替えた。
あと、医薬品の流れもトレースしてみたら、本土に闇で売られていた。
ストレプトマイシンなどが全部流れていた。 
キャラウェイはぶち切れて、「沖縄に自治などは神話だ」と言った。
おまえらは腐った両班だと見離した。
それで、基地は残して、施政権だけは、つまり、民だけは返すということになったのが沖縄の施政権返還です。
軍事基地としてはフィリピンよりもはるかに沖縄のほうが有効だからです。
ただ、いまは中国がグアムにも平気で届くミサイルを持ってしまったから、状況がちょっと変わってきました。
いずれにせよ、沖縄は重要視しているが、民はもういらないというのが、佐藤栄作の時の沖縄施政権返還でした。
翁長雄志や玉木デニーなどの振る舞いを見ていると、キャラウェイの言葉がすごく的を射ている気がしてくる。

宮崎 
沖縄返還が昭和47(1972)年ですから、もう半世紀近く前です。
2002年に沖縄振興開発特別措置法が廃止されたあとも沖縄振興特別措置法に改定されてまだ生きている。
騒げばまたお金をくれるというので、歴代知事は騒いできた。
たかり根性が染みついちゃった。

高山 
佐藤栄作が、憲法を改正して日本の自立を目指そうとした時に、アメリカが強くブレーキをかけてきた。
そのために使われたのがノーベル平和賞でした。
返還された沖縄の核について佐藤栄作が野党の教条主義を躱(かわ)すためにふと非核三原則を口にしたら日本の核保有を恐れるアメリカがこれ幸いと佐藤栄作にノーベル平和賞をやった。
これで日本は絶対に核を持てなくなったとでも思ったのだろう。
それにしてもヘンリー・キッシンジャーにノーベル平和賞を出すぐらいだから、ノーベル平和賞はものすごく政治的です。

宮崎 
佐藤栄作のノーベル平和賞は非核三原則が受賞理由でしたね。
高山 
そうです。
いま言ったように「核を持たない、持ち込ませない」みたいなことを言ったので受賞した。
しかし、あのノーベル平和賞のおかげで、また日本は憲法改正からも核武装化からも遠のいてしまった。

宮崎
武器輸出三原則も佐藤じやなかったんですか。
高山 
あれは三木武夫ですね。
対共産圏輸出規制委員会のココムの取り決めで共産圏には武器輸出できないというのを、どの西側諸国にも出してはいけないと言い出したんです。
バカな宰相は多いけれど、三木はとびきりバカだった。


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