僕が適応障害になった理由

はじめに

高野サトシです。

本題に入る前に、またもや言わせてください。

僕の記事に「スキ」していただいた皆様、
また、僕をフォローしてくださった皆様、

本当にありがとうございます。

ここ数日間でフォローをしてくださる方の数がぐぐぐっと増え、驚いております……。

これを書いている時点で、なんと、48人の方にフォローしていただいております。

これは、「48人のフォロー」でなく、
「1人のフォロー」×48だと思います。

確かに、noteのシステム上の表記は「48フォロワー」ですが、

奇跡のような確率で僕の記事に出会い、
何らかの理由でフォローをしてくださった方が48人いる。

そう思うんです。


多くの方からフォローをいただいたことを改めて考えたとき、
僕がこのnoteの中でウソを書いていたら、きっと精神がもたないなって思いました。

……フォローされているのはウソの自分。
本当の自分は違うのに……。

きっとこんな風に考えると思います。

なので、これからもウソなく、自分の気持ちに正直に、言葉を綴っていこうと思います。


全然関係ないんですが、

「ウソ」ってカタカナにすると、『機動戦士Vガンダム』のウッソくんを思い出しませんか?

20歳くらいの頃でしょうか、ガンダム好きの友達と話してたとき、
「俺さ、ヴィクトリ-ガンダムとV2ガンダムの区別がつかないんだよね」
と言ったら、
「お前、あんなわかりやすいデザインで区別つかないのか?!」
と驚かれました。

今なら区別つきます。
若かったんですね。

僕が適応障害になった理由(結論)

一言でいえば

すみません、本題に入ります。

見出しのとおり、僕が適応障害になった理由、それを簡潔にお伝えします。

  1. 仕事の内容が価値観に合わなかった

  2. 仕事に自分の能力が活かせている実感がなかった

  3. 仕事に成果を見出せなかった

自分自身を分析した結果、この3点に集約されました。

これらが悪い方向に絡み合った結果、心を病むことにつながったのだと思います。

1.仕事の内容が価値観に合わなかった

では、この3点について簡単に説明いたします。

まず、1点目の「仕事の内容が価値観に合わなかった」です。

そもそも、「高野の価値観」とは一体何なのか?を説明いたします。

僕の価値観としては、

  • 常に努力し、成長し、それによって何かを成し遂げたい

  • 誰かの言いなりになるのではなく、自分で考えて行動したい

  • 毎回決まったとおりやるのではなく、常にアイデアを生み出し、工夫をしながら物事を進めたい

  • 変化を恐れず、挑戦したい

  • 役職に関係なく、平等かつ丁寧に人と接したい

  • 自分の能力や強みを活かして誰かの役に立ちたい

  • 何も考えずに「前へならえ、右へならえ」をしたくない

ざっと簡単にまとめるとこういったところです。

適応障害を発症した当時、そしてその少し前から、やっている仕事がこの価値観に合わず、心がギシギシと軋んだ音を立てていました。


適応障害を発症した前月の2023年4月、僕は新しい部署に異動したばかりでした。

そして、その新しい部署で主に担当していた業務が、月に一度開催される「とある会議」の事務局でした。

(あまり詳しく書くと身元がバレてしまう可能性があること、関係者の方に迷惑をかけたり、不快な思いをさせたりしてしまうかもしれないので、奥歯に物が挟まったような、わかりにくい表現になってしまいます。ごめんなさい、ご了承ください)

この会議、会議の議案として作成する書類の体裁に色々と細かい決まりがあり、

  • 上下左右の余白は○ミリあける

  • タイトルの前は3文字分あける

  • タイトルの後の本文は○マスあける

……などといった体裁を遵守しなければいけません。

なお、この議案は自分たちだけが提出するわけではなく、同じ部内の他の課からも多く提出されます。

自分たちの提出する議案を作る仕事、他の課から提出された議案のチェック、会議の事前準備、当日準備……などが、僕の仕事の一つでした。


この仕事は、前例踏襲、かつ決まった型どおりにやらなければいけない仕事で、端的に言うと、個人的にはとても息が詰まりました。

上記の価値観に照らし合わせてみると、僕の価値観に合致する点は一つもありません。


「なぜ、絶対にこの体裁でなければいけないのか」
「なぜ、この体裁になったのか」

こういった疑問を、僕が異動する前から担当されているサブ担当の方に質問してみましたが、答えはわかりませんでした。

また、他の課から提出される議案は体裁から外れているものが大変多く、そのチェックにもかなり時間が掛かっていたため、誰でも簡単に体裁の整った文書を作れるシステムを作ればいいんだ!と思い付いたことがありました。

そこで、Chat-GPTを活用しながらエクセルでマクロを組み、タイトルや内容を特定のセルに入力すれば、体裁の整った議案がワードのファイルで作成される、という仕組みを途中まで作りました。

しかし、そこでサブ担当の方に相談したところ、

「どうせ他の課の人たちは使いこなせないだろうし、自分たちで修正した方が早い」

と言われました。


体裁の件は、自分が納得するまで調べたり、多くの方に質問したり、やり方はあったと思います。

文書を作るシステムの件だって、もっと自分から働きかけ、別の方や上司、あるいは他の課の人まで巻き込むべきだったのだと思います。

でも、その当時は頭がぼんやりして上手く働かない状態になっていて、そこまでアクティブに物事を掘り下げることができませんでした。


今から考えると、自分の価値観とやっている仕事に距離があって、それが原因で心が悲鳴をあげていたんだな、とわかります。

ただ、この価値観は休職期間中に自分と向き合うことで言語化できたものであって、適応障害を発症した当時は、自分が何に適応していないのかがわからず、一体自分に何が起こっているのかと、苦しい思いをしました。

2.仕事に自分の能力が活かせている実感がなかった

これは、上記の僕の価値観、

  • 自分の能力や強みを活かして誰かの役に立ちたい

にもつながる話です。

僕の能力や強みとしては、

  • 文章を作るのが得意

  • 難しい事柄を簡単にまとめたり、言い換えることができる

  • 大勢の前で物怖じせず話せる

  • 人を笑わせるユーモアのセンスがある

  • 言葉選びのセンスがある

  • 人の目を気にせず行動できる

  • 改良点に気付き、それを改良する案を作ることができる

  • 自分を律することができる

  • 目標達成のための手段を考え、それを自分なりに工夫できる

  • 他の人の想定を超えるアイデアを出すことができる

といった点が挙げられます。

(ちなみに、社会人になってから個人的に出した全国の某作文コンクールで、最優秀賞をもらったことがあります。それまでの受賞作品の傾向を調べて、どうすれば受賞できるか対策をしての結果だったので、とても嬉しかったのを覚えています)

こうした自分の強みを活かせる仕事が、異動してきた課にはなかったのです。


同じ地方自治体に勤めていらっしゃる方には「あるある」かと思いますが、異動先がどうなるのか、全く読めません。

よく、「役所の異動は転職みたいなもの」なんて職員同士で話すんですが、本当にこれまでの経験を全部無視した異動が多くあります。

僕もそのクチで、異動前に経験してきたことが全く活かせまんでした。

「どうして自分はこの課に来たんだろう?」
「自分の能力の何が活かせると判断されて、異動になったんだろう?」

自分の価値観に合わず、得意なことを活かせない仕事をひたすらこなしながら、そんな思いを日々募らせていきました。


余談ですが、上記の僕の得意なことについて、これらを「得意」と言えるようになったのは最近のことです。

習得したのが最近というわけではありません。

元々自分の能力としてありましたが、それを大っぴらに「得意です」と言える自信がなかったんです。

「もっとすごい人なんていっぱいいるし……」
「自分程度のレベルで得意だなんておこがましい……」

なんて思ってたんです。

ですが、とあるきっかけで考えを正し、自分が得意だと思えることは、恥ずかしがらず、堂々と「得意です」と言おうと思ったんです。

詳しくはまたいつか書くことになると思いますが、

「じゃあ、『自信がある』っていうのは、どこまでいったらそう言える状態になるのか」

というようなことをある方に言われて、そこから気付きを得たんです。

そこから、

自分の得意なことについて、それより上とか下とかを考えていったらキリがないよね。
自分が得意だと思ったら得意って言っていいじゃない。
自分よりも上手にできる人がいたらどうする?って、どうもしないよ。
自分が得意だって思うなら、自信を持って胸を張ろう。
自分自身を肯定するのに根拠はいらないんだ。

そんな風に考えようって思ったんです。
そうしたら、だいぶ気持ちが楽になりました。

3.仕事に成果を見出せなかった

数字で表せる部分で評価ができるものって、役所は少ない印象があります。

たとえば、税金を滞納している方々と交渉して、年間○万円の納税をしてもらうとか、そういった明確な目標値を設定できる部署はあります。

一方で、市民課で戸籍や住民票を発行するといった仕事は、明確な数値目標が作りにくいです。設定するとしても、発行ミスを○件に抑えるといった減点方式の設定になりやすく、役所はこうした部署が多いと思います。

僕がこれまで経験してきた部署が、特にそういった数値目標が作りにくい部署だったというのもありますが、自分がいくら頑張っても何かに貢献できている実感がない、というのは大きなストレスでした。

「自分は一体、何を目指して仕事をしているんだろう」
「一定時間拘束されて、その我慢した分だけ給料としてお金を払ってもらっているだけなんだろうか」
「税金から給料が出ているのに、今振り込まれている給料は、どういう理屈で払ってもらえてるんだろう」

そんなことをいつも考えていました。

もちろん、僕の仕事はそこに住む方のためになっているはずです。
でも、僕はそこに想像力を働かせることが苦手なようでした。

それに、数字で評価されないから成果が見出せないのが不満なんて、数字でシビアに評価される業界の方からしたら「甘えるな!!」と言いたいところだと思います。

「ないものねだり」とは言いますが、まさにそういったことなのかもしれません。

この点に関しては、
「数字で評価される世界に身を置いたことがないのでわからない……」
「もしかしたらそっちの方が性に合っている可能性もあるのかもしれないけど……」
と考えているのが、現状の素直なところです。

おわりに

このように主に3つの要素が悪い具合に嚙み合って、徐々に心を蝕んでいって、やがて適応障害に至ったというのが理由です。

ただ、2023年4月に新しい部署に異動したのが発症の大きなきっかけではありますが、そこに至るまでに色々と考えていたこともあり、それも適応障害になったことと大きく関係があると思っています。

今後は、発症に至った前段階や、適応障害に由来するうつ症状をどう乗り越えてきたかなどについて、お話をしたいなと思ってます。

同じような、あるいは似たような境遇の方の力に、少しでもなれたらいいなと思っております。


本日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。

おわりのおわりに

アディショナルタイムです。

なんか、今回書いた記事を読み返すと、全体的に口調が堅いんですよね。

堅くなかったですか?

たとえば、

「1.仕事の内容が価値観に合わなかった」

「では、この3点について簡単に説明いたします」

の部分。

タカアンドトシなら、

「答弁資料かっ!!」

ってツッコむと思います。

多分ですけど、職場の、役所のことを考えながら書いてたから、それに引っ張られたんだと思います。

文体って、考えている対象にも影響を受けるのかなぁと、面白い発見でした。


以上です。

改めて、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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