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客観的に見ることの大切さ

私事で恐縮ですが、私はこれを書いている時点において、外国に長期滞在をしております。無謀にも還暦前という歳になって英語を学びたいと思い立ち、意を決して一人単独で外国に長期滞在をして、ホームステイをしながら英語学校に通っています。英語の習得度や上達度は言うまでも無く劣等生です。年寄りの冷や水でしかありませんが、冥土の土産と言いますか人生における記念受講程度でしばらく滞在しようと思っています。

私は日本人であり日本語しか使えません。多少の海外旅行の経験はありますが、英会話などほとんど不要の旅行しかしたことがありません。英語の知識もせいぜい中学英語くらいしか記憶にはありません。そんな私が英語しか使えない環境に長期間滞在するのですから、無謀としか言い様がありません。後悔、挫折、不安、ストレスの毎日。若い人たちのようにはいきませんね。帰りたいと何度思ったことか分かりません。しかし帰るための英会話さえも良く分かっていないからそれもできません。

前置きが長くなってしまいましたが、何が言いたいかというと、そんな過酷な状況に身を置いていると、日本や日本人のことがとても客観的に見えるようになってきたと言うことです。私のような日本人が、日本と一切関わることのない日本から隔絶された過酷な環境に身を置くと、良くも悪くも、日本のことが色々と感じられるようになります。私は他人に具体的なことをあれこれと主張するのは好きではありませんから具体的なことは申し上げません。しかし、外国に来ることによって、日本に居る人たちが日本のことに無関心でいることに、とても疑問を感じてしまうようになりました。私も日本にしか居なければ無関心のままだったでしょう。

日本人が日本に暮らしていて、満足もしていないかも知れないけど、不満を感じないのは、日本が良い国だからなのでしょうか。決して日本が悪い国だとは言いませんが、他の国を知らなかったり、客観的な視点で日本を見ることをしていないからだと思いませんか。国のことに限りませんが、良いか悪いかの本当の判断は、安堵しているその場に身を置いているだけでは出来ないものだと思うのです。

自分なりに様々な判断をするためには、客観的な環境に身を置くことが大切なのではないかと思うのです。それも現状の生活とは全くかけ離れた自分にとって過酷な環境に身を置けば置くほど客観的になれると思うのです。良い悪いの基準や、注視する事象などはそれぞれの人によって違うでしょう。しかし、本当の良いとか悪いとかの基準は、自分が安堵している状態では分からないと思うのです。

一つの例を挙げますと、日本人は自分の配偶者のことを謙遜する場合が多いです。そんなことが言えるのは安堵しているから言えることなのです。もし私のように何も分からない外国に飛び出したなら、どれだけ自分の配偶者や家族が大切で心の頼りになるかが実感できるはずです。家族を謙遜した状態のあなたの人生は本当に幸せでしょうか。謙遜は安堵で包まれた状態でしかありません。そんな状態では人生を見誤るだけだと思うのです。自分の人生や環境が安堵したままの状態では、自分の人生そのものもそうですが、世の中の行く末も見誤ってしまうと思うのです。

私のような留学を勧めるわけではありません。しかし、今の環境に安堵せず各々の現状から隔絶したような過酷な環境に身を置いてみてください。言い換えれば、ちょっと辛くて苦しい環境に進んで身を投じてみてください。その方法や環境は各々で違うでしょう。とにかく辛くて苦しくて困って前の環境に戻りたいと思うような状況を経験すると、はっきりと客観的になれます。自分の今までの生活がはっきりと見えてくるものです。世の中を見る目も変わってきます。

そんな客観的な視点が持てたなら、あなたの人生やあなたの行く末、あるいは世の中に対する意識が大きく良い方向へ変わって行くと思うのです。正しい判断や選択が出来るようになるのではないでしょうか。

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