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愚痴と表現の違い

自分の中で辛いことや嫌なことがあった時にあなたならどうするでしょうか。その出来事にもよるかもしれませんが、その辛い気持ちや嫌な気持ちを解消しようと思う発言や行動をするのではないでしょうか。解消のための発言や行動は色々あると思います。自分なりの解消の発言や行動を振り返ってみてください。その解消のための発言や行動は一時的なものであったり、無駄なものであったりしませんか。

標題にありますように、自分のネガティブ感情をそのまま言動してしまったら単なる愚痴になってしまいます。しかし、自分のネガティブ感情を、何か変換をして言動したならば表現という形になります。自分の抱くネガティブ感情を愚痴とするか表現とするかでは、どちらの方が世の中に対して建設的で前向きかを考えれば言うまでもなく後者であることは一目瞭然です。

私たちは、つい愚痴やそれに準ずる発言や行動を起こしがちです。自分の感情を変換する必要が無いので簡単だからです。しかし感情を感情のまま表現をすることは、世の中や道理的には何の結果を産むものではありません。むしろマイナスな感情を発することはマイナスの結果を産む可能性さえあると思います。

自分のネガティブ感情を良い形で解消をするのならば、マイナスな感情をマイナスではない何かに変換をする必要があると思うのです。マイナス感情を抱いたときに、マイナスがエネルギーになってマイナスではない何かに変換をすることこそ正しい解消だと思います。愚痴ではなく表現になるものだと私は思っています。

それは、ネガティブな感情から来るエネルギーが、何らかの形に変換されて、世の中の役に立つものになって発言や行動をしているような状態を意味します。身近な例で言えば、書籍や音楽や絵などの創作物などは、典型的なネガティブな感情を変換した表現だと思っています。作者や演者は自分の持つネガティブエネルギーを世の中の役に立つ形に変換をした表現物だと思っています。

創作物に限りません。みなさんの日常生活や仕事の中での発言や行動にも、愚痴のようなスタイルではなく、表現のようなスタイルが存在するはずです。自分の抱くネガティブな感情が愚痴のままでは自分にも他人にも何の役にも立ちません。しかしそれが変換されて表現となれば役に立つようになります。ネガティブ感情を解消をするのならば、せっかくだから表現に変換をしてみると人生は好転していくように思いませんか。

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