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めまいの文章

頭の中の遠くの方におじさんが一人いて、小さな映写機を雑な感じで回しています。ジー、ジー、と始まりそうで始まらない映画です。

それがもっと強くなると、頭の中で疲れた野球部員がローラーでごろごろと、グラウンド整備を始めます。ごろごろ、ごろごろ。

それが私のめまいです。

なぜか地元のスーパーに入店する瞬間がいちばんきつくて、店先でじっと目をつぶってしまうので、防犯カメラ越しに怪しまれていること必至です。

めまいと言うと、普通は「世界が回って見える」という言葉が思い浮かぶのではないですか。回転椅子をぐるぐる回して立ち上がろうとすると、世界は回ってないんだけども、足元はふらっふらというような。

私のやつはそれとは少し違っている。はじめは、これはなんか違う脳の症状に違いないと思ったわけです。医者にずばっとわかるように説明する文章はないだろうか、とずっと考えていたんですが、めちゃくちゃわかりにくいこんなのしか浮かびませんでした。

要するにこーねんきしょーがい、ろーか、うんどーぶそく、ネブソクの詰め合わせ的なもんだろうなーと見当をつけて、結局病院には行きませんでした。

しばらく小説を書くのをお休みしていました。一月ほど、ネットも見ていませんでした。これほど長く休んだのは初めてで(さぼりは何年もしているのだが)、そうなると自然と書きたい気持ちが湧いてきます。

おかげで今年は年末に大掃除ができましたが、おせちは一ミリも作りませんでした(人がつくったのは食べた)。

インターネットに繋がらないと、時間の速度が遅くなるようです。午後四時くらいかな?と見当をつけて、時計を見ると三時です。だからといって、なにかするわけでもなく、将棋の棋譜並べなどして、羽生九段の一手を指したと言って喜んだり。

noteを見たり、投稿したりすると、なぜかほんのり落ち込みます。
世界がわきわきシャキシャキ動いているのが見えるからか…感情が揺さぶられる反動か…

コメントは、ウレシーの一言ですが。

今日は久しぶりに、小説を書きました。

窓の外では、野太い声とかん高い声の鳥が鳴いています。
鉄塔にうすい夕日が落ちていくところです。

二階の窓から電車が走っていくのが見える、って書いて締めたいんだけども、なかなか電車がこない。

あ、いま、踏切の音がした。


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