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父との思い出、そして終末期医療について思うこと

12年ほど前に父が亡くなりました。父のことが大好きでしたが、なかなか困った人だったので、母は苦労したようです。

そんな父が亡くなる時、終末期医療を家族が決めることは酷だと感じました。医療者として、そして家族として感じたことを書きたいと思います。


父親のこと

私には、年の離れた兄が2人います。なので、私は一人っ子のような感覚で育ちました。

「お父さんが、娘が欲しいと言ったから、間をあけてあなたを産んだのよ」と母から聞きました。

父は、お酒が好きで、ギャンブルが好きで、仕事は真面目にするんだけど、あまり器用な人ではなくて。
転職を繰り返したり、最後は小さな会社でしたが潰してしまったり・・・。
勝手に保険を解約してギャンブルしていたり・・・。

母がしっかり切り詰めて、なんとか生活出来ていたんだと思います。

でも、父は優しかった。少しだけど甘えさせてくれた事って今もしっかりと覚えている。

私が小学生の頃、セーラー襟の服が流行っていて、私も着たくて「友達が着ているのと同じ服が欲しい」と、ねだったんだけれど、買ってくれない母。
それを見かねて、父がそーっと私を連れて買いに行ってくれて(*^_^*)

すごくうれしかったけど・・・父はあとから母に怒られていたっけ・・・。

そんな父が、入院したと聞いたのが、私が千葉に転居して2~3年くらいしてからだったかな。両親は石川県に住んでいるので、仕事と子育てに追われて、千葉にいる私は、そうそう、会いには行けていなかった。

入院してからも、2回ほど顔を見に行ったくらい。「次は、子ども達の入学式が終わって、落ち着いたら来るね」と言っていたのが最後。
3月末に急変して亡くなりました。

一期一会

やっぱり、会えるときに会わないと、次はないんだなって思ったことを覚えています。

終末期の医療

父が亡くなった日は、胃瘻を作る予定日の前日でした。

口から食事が摂れなくなった父は、中心静脈栄養といって、太い静脈に直接、栄養のある点滴を入れていました。熱を繰り返すので、点滴をやめて、胃に穴をあけて直接胃に栄養を入れる処置、胃瘻を作る予定になっていたのです。

胃瘻を作るかどうか、これを決める段階で、家族に選択を迫られるんです。
父は兄夫婦が一緒に住んでいましたので、母、兄夫婦が選んだのは「胃瘻を作る」でした。

兄曰く、作らない=見殺し?と感じたと言っていました。

私は看護師として働いていますので、職業柄、人の終末期の医療に対して自分なりの価値観は持っています。
胃瘻を作ることが、自分の価値観とは違うことを感じつつ、離れて住んでいる娘の立場から、口をつぐみました。

でも、兄たちが家族の立場として「作らなくていい」とは言えない気持ちは理解できたし、私自身もその決断に共感したことも・・・
それは理屈じゃなくて、感情が動きました。

でも、父は嫌だったのかな・・・
胃瘻を作る前に亡くなってしまったものね。

父が亡くなってから

親が亡くなるというのは、なんとも不思議な感覚です。結婚してから、親元を離れて生活していましたし、近くにも住んでいませんでしたので、会わないのは、あまり変わらないというか。

ですが、しばらくするとなんとなく無性に寂しくなりましたね。父の小さな遺影をもらっていたのですが、なぜか、なんとなく開けられないまま、数年がたちました。

親孝行らしいことをしてこなかったからか。なにか、私の中に罪悪感みたいなものがあったように思います。

私には、霊感の強い友人がいます。父が亡くなって数年経った時に、遺影をどう扱ったらよいか聞いてみました。
「時々は箱から出して、声をかけると喜んでくれるよ」と言ってもらったので、それからは、部屋の一角に父の遺影をおき、時々手を合わせています。

自分の中で、父の死を整理出来たのかもしれません。

「人生会議」を考えてみる

小籔さんのポスターで話題になった「人生会議」って知ってますか?

厚生労働省のホームページに、詳しく書いてありますので、良かったら覗いてみてください。もしかしたら、小籔さんのポスターで、なんとなく知っている方もいるかもしれないですね。

人生会議とは・・・もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療、ケアチームと繰り返し話合い、共有する取り組みのこと

人生会議とは、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)を、日本語でわかりやすく表現したものですね。

なんとなく、最後の医療をどうするか、みたいに捉えている方も多いと思うのですが、ここに書いてあるように意思決定のプロセス(過程)のことなんですよね。

父の場合、食事が摂れなくなって、胃瘻を作るか作らないか、本人が話が出来ないので、医療者は家族に選択をせまるわけです。
でも、家族といえども本人ではないですから、とても悩みました。
そして、今でもどう考えたら良かったのかと思っています。

父が元気な時に、どんなことを考えていたのか、終末期の医療についてなんて話してないですよ、全く。

特に、日本人は〝死〟についてはタブーな雰囲気がありますからね。
でも、〝その時〟になれば、家族は苦しみます。

私は、一医療者として、その選択の決断が家族を悩ますこと、そして、どちらを選択しても後悔する(納得できない)こと。
その現実を見てきたはずなのに、自分の親の時に、ホントに一家族となってしまいました。

だから、自分がどうしたいのか、しっかりと考え、家族と話しをしておくことの大切さ、そのプロセスが大切だと身をもって感じたのです。

「死」を考えることは「生きる」を考えること
「どんなふうに死にたいか」じゃなくて「どんなふうに生きたいか」

そんなふうに考えて・・・
そして、急に延命治療の話をするとか、話のハードルを上げるんじゃなくて、まずは、大切にしてきた思いとかその人の価値観にふれる部分、人生観を家族で話をしてみる、そして伝える、それが大事なんかなって思います。


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