幸せは、不足やギャップから生まれる
幸せって、すごく主観的なものですよね。
自分が〝幸せ〟と感じられるかどうか、これは、比較からくるものなのかもしれない。
この比較、自分との比較ならいいと思うのですが、他人との比較になってしまうと、際限がなくなってしまうんですよね、きっと。
幸せとは?
いつだったか・・・誰かが、幸せは不足とかギャップに詰まっているという話をしていたんです。
最初は???って感じで、全然ピンとこなかったのですが。
聞いていたら、なんとなく納得というか。
例えば・・・。
スポーツをして喉が渇いているときにのむ水。
普通の状態で飲む水。
同じ水でもおいしさが違いますよね。
体が水分を欲している(体の水分が不足している)時に飲む水は美味しい。これは、水の味は変わらないけれど、飲む人の状態が変わるだけ。
確かにそうだよなぁって思って。
私の身の回りのことで言えば、昨年までは、自宅で義父の介護をしていたので、自宅での介護は大変だったり、自分自身も不自由だったりしましたが、義父がショートステイに行っている間は、しばしではありますが、ごく普通の生活に、介護がない自由を、ありがたさを感じることができました。
これは、ふだん不自由さを感じていたからこそ感じることができるもの。
それから、私たち夫婦って、2年前までは離れて生活していたのですが、今は一緒の生活が出来ているので、それだけで幸せだなぁと気付けたり。夫婦が一緒に生活するなんて当たり前のことだけれど、離れていたからこそ感じられる幸せです。
幸せってどこにでも転がっているものだけど、自分がそれに気付けるかどうかなんでしょうね。
そして、幸せに気付くには、なにもかもが〝ある〟状態なのではなくて、〝ない〟状態の方が気付きやすくなるってことなんかなって思います。
比較は自分とする
不足やギャップから幸せを感じるというのは、つまりは比較をするってことなんでしょうけれど・・・。
この比較って、他人との比較にしてしまうと、また際限がなくなってしまうと思うのです。
他の人よりもいい生活をするとか。
他の人よりもいい車に乗るとか。
これは、ホントに一時的な欲求を満たすだけになってしまって、ホントの幸せを感じるには繋がらないと思うんですよね。
贅沢にはキリがないですから。
比較は、あくまで自分との比較。
ふだんの生活のなかの不自由さを感じつつ、たまの自由に幸せを感じるというのも悪くないんじゃなかなって思います。
少し話は逸れますが・・・。
両学長のYouTubeでいつだったか、こんな話をしていたんです。
両学長が若い時ですごく稼いでいたとき、毎日高級なお寿司とかを食べていたそうです。久しぶりに自宅に帰った時、母親がスーパーで買ってきた特上のお寿司を「まずい」と思ってしまった自分にびっくりしたんだそうです。両学長はこの時、せっかく買ってきてくれた母親に申し訳ない気持ちと、美味しいものはたまに食べるからいいんやなぁって思った・・・という話。
なんでも自由な状態より、多少の不自由があった方がいいのかもしれないですね。
バランスが大切
幸せはあくまで主観的なもの。
自分が自分を幸せだと思えるかどうかなんだと思う。
その時に、不自由さを嘆くのではなく、不自由さがあるから幸せを感じやすくなるんだって思ったら、また捉え方も変わってくるかもしれません。
まぁ、バランスが大事ってことですね。
そして、今日は、夫が検査入院をしました。
結果はどうなるか。2週間後に聞きに行く予定にしています。やっぱり健康が一番です。
そして、今日は、私の誕生日。
誕生日と夫の入院日が重なるというなんともなぁ・・・って感じですが、これも捉え方でしょうか(笑)
明日、退院してきたら、1日遅れの誕生日ケーキを食べてもらいましょうか(笑)
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