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バリアフリー、ユニバーサルデザインなどに思う

私が、ALSと診断を受けて、3か月。この期間に介護の認定を受け、障碍者の認定も進行中である。この状況になって、今までの思い込みとは違う問題に直面しており、そのことについて書いてみたい。

バリアフリーについて

私たちは、家を建てる時に、バリアフリーにした。トイレと階段には手すりをつけた。トイレや更衣室と風呂は段差がない。これで老後も安心だと思っていた。

87歳で亡くなった叔母は、60代から介護が必要で、私たちの新しい家ができた時は、自力で歩くことが出来なくなっていた。気さくな叔母とは、小さい頃からお世話になり、家に泊めてもらったりと誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントを買ってもらったりと、かなり仲良しだった。しかし私はその大好きな叔母に家に入ってもらうことが出来なかった。玄関までの5段の階段でさえ、その時の叔母には歩いて上ることは無理であった。

母はもう四捨五入で100歳に届く年齢になった。腰痛を患っていて、足腰が弱くなっている。母は、花壇に上る40センチの高さの段は上がれないと嘆く。

私は、今ALSが進行しているので、2階にある自分の部屋をいつまで使えるかわからない。階段の手すりは片方にしかなく、上る時には左側に手すりがあることになる。右利きの人は左手にものを持つ習性があるので、反対側への手すりが必要となった。手すりがついていても不安があるということが分かった。

浴室にも手すりがついている。しかし手足が衰えてくると、風呂で溺れそうになる。足がすべるのだ。結局、風呂内に滑り止めを敷いてもらったり、介護用のシャワーチェアを上手く使ったりして出入りしている。

補助の用具がいくつかある。例えば服をきたり、ソックスを履いたり、脱いだりするのに使えるという便利棒がある。ボタンをかけるのを補助する器具がある。これも、私の場合は、手が不自由になってしまえば、何の補助にもならない。

 

ユニバーサルデザインについて

ユニバーサルデザインとは、次の7原則を考えてデザインされることだそうだ。

1公平な利用

2利用における柔軟性

3単純で直観的な利用用

4わかりやすい情報

5間違いに関する寛大さ

6身体の負担を少なく

7接近、利用のための大きさや広さ

この考えかたは素晴らしいが、もっと、普及する必要がある。

ユニバーサルデザインの1つに女性専用車両があると思う。女性専用車は、電車の先頭車両や後尾車両のことが多い。私も元気なころは、積極的に利用していた。しかし体を病んでみると、必ずしも、便利ではないことが多い。駅でそこまで移動することの難しさや乗り換えなどの移動にし難さがある。

駅での移動は、階段・エスカレーター・エレベーターとあるが、利用しやすい所になかったりする。設置が間に合っていない駅も多い。私はある駅で駅員の人に聞かないとエレベーターの場所がわからなかった。UDスペースに明かに健常の人が占拠していることも多い。

つり革や手すりなどは工夫されているが、それでも混雑するときには、私のように手が不自由な人はそれを他の人にわかってもらえないので、十分に利用することができない。

多くの駅や歩道などに視覚障害の方のための視覚障害者誘導用ブロックが、普及して素晴らしいと思うが、その上を歩きスマホで歩く人がいる多いらしい。私は、昨年首下がり症候群になって、最近はALSの進行のせいもあって、首を上げるのが大変に立っているのでこのラインがとても助けになっている。このスペースは、視力の悪い人や私のような人のために是義開けておいてほしいものだ。

 

まとめ

介護や体の不自由な状況は、人さまざまである。若い頃(といっても私の場合は13年前のことだが)バリアフリーと思って作った家は、前に述べたようにバリアフリーでない所が沢山あった。私は100歳位まで元気で過ごすつもりでいた(母が長生きなので)。夫婦の居室を2回にしてしまった。私が後2,3年で2階に上がれなくなったら、私はどこで介護や看護を受けたらいいのだろう。1階にも、自由なスペースを作っておくべきであった。

ユニバーサルデザインが進み、生活は体の不自由な人に少し優しくなった。しかし、紋切り型に「私たちの会社では、バリアフリーを考えていて…」などと、優しくない目標を掲げてほしくない。本当に利用者の立場に立って考えた、思いやりのあるデザインで、あってほしい。

#思い込みが変わったこと

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