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愛犬とのさよならの日のこと 【 1、最後の夜 】 # 青ブラ文学部

しまった、寝てしまっていた。
飛び起きて隣りにいる愛犬のお腹に手をあてる。
よかった、呼吸をしている。

覚悟は決めている。
今日が10年一緒に生きてきた愛犬ここちゃんとの最後の夜。毎日、一緒に布団で寝ていた定位置には、明日はもうここちゃんはいない。

その夜は寝る前、「最後にちゃんとお話をしとこうか」と言って暗がりの中でここちゃんを前に座らせ、お互いにじっと目を合わせて、後悔のないようにとにかくたくさん話した。

「最初に家に来た日のこと覚えてる ? 」
「元気すぎてびっくりしたわ。手に負えない子を飼ってしまったんじゃないかと思ってさ」

僕が語りかけると、ここちゃんはその小さな目できょとんとこちらを見ている。

「でもお利口さんで安心した。トイレだけはなかなかできなかったよな。だからなかなかケージから出してあげれなくて。退屈やったなぁ ? 」

頭を撫でてやりながら話し続ける。
ここちゃんが少しうれしそうにこちらを見る。

「親と今もずっと仲が悪くてな。逃げるように飛び出してこの一人暮らしの家に辿り着いたんや。だから君は初めての僕の家族やったんやで。可愛くて仕方なかった」

「よく一緒に行った公園、覚えてる ? 体が汚れるからやめてっていうのに、ここちゃん、公園の池に毎回入っていってたよな。あれは困ったよ」

「花火も見に行ったし、七夕の空もよく一緒に見たな。短冊に『15才まで健康に生きれますように』って毎回、書いてたんやで···」

「こんなことも、あんなこともさ···」

話している途中から涙が止まらなくなった。
思わずここちゃんを強く抱きしめた。
「きゅう」という甘えた声を出して腕に寄り添う。

「ここちゃん、よく聞いてな。今日が一緒に過ごす最後の夜や。苦しかったな。明日には絶対に楽にしてあげるからな。今までほんまにありがとうな···。死ぬのは怖くないか。大丈夫、最後の最後までそばにいるからな」

僕が頭を撫でようとした時だった。
ここちゃんが少し手を上げてそっと僕の手のひらに当ててきた。肉球の冷たさが消えていく命そのもののようだった。

「ここちゃん、いくら教えても『お手』できなかったやん···。何で今になってさ···」

僕は枕に突っ伏して嗚咽を漏らした。
自分でも信じられないくらい大声で泣いていた。
ここちゃんが心配そうにこちらに近づき隣に来た。
顔を上げると、真っ直ぐな瞳でこちらを見ていた。
僕はその瞳を必死に頭に焼きつける。

この子は全て理解している。そう思った。
「ちゃんと聞いてくれてありがとうな。最後にちゃんと話すことができてよかった。これでもう僕も思い残すことはないよ。えらいえらい」

再びここちゃんの目を覗き込むと、今にも眠ってしまいそうに薄く目を開いていた。
「疲れたよな。よしよし、ゆっくり休んだらいい。ずっと朝まで起きて見ててあげるからな。」

朝が来る前に「その時」が来たら、その時がお別れの時だ。きっともう後悔はしない。
最後までがんばってくれた。必死に生きようとがんばる姿を見せてくれた。もう充分じゃん。

静寂の部屋の中にここちゃんのもう小さく小さくなった寝息だけが聞こえる。耳を澄まして必死にその音を確かめる。

真っ暗だった部屋がほんの少しずつ明るくなってくる。寝息はまだ聞こえている。朝だ !

ここちゃんからの最後のプレゼントの1日。
本当にさよならの朝が来た。 


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