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【 エッセイ 】 愛犬と「お手」


「お住まいはどちらですか?」

職場等で普段あまり話したことのない方と話をする機会があった時、よく聞かれる質問の1つだ。会話の取っ掛かりとしてはちょうどいい。

「○○です。実家は○○なんですが、今は一人暮らしをしています」と言った後に私はいつも必ず、「犬を飼っているので2人暮らしみたいなものですね」と付け加える。私にとっては愛犬も大切な家族なのだ。

私が犬を飼い始めたのは社会人2年目の夏休みの頃だった。時間もあるし何か新しいことを始めたい。そんな時に思いついたのが犬を飼うことだった。昔から動物は好きだったものの実家は動物を飼えないマンションだったため、飼ったことはなかった。いつか飼ってみたいと思いながらも実現せずにいたことだった。

ネットでペットショップを検索すると思いのほかたくさんの店が出てきた。その中から一番家から近そうな店を選ぶ。真っ先に目に飛び込んできたのは「SALE中 !」の文字。
生体に対する言葉としてはひどく不適切な感じがして少し嫌な気持ちになった。でもいい飼い主さんに引き取ってもらうことが犬にとって一番幸せなことなのかなと思うと少し複雑な気もした。

結局その店ではお気に入りの子は見つからず、他の店も見てみることにした。
いくつか見ていく中で、一匹の犬が目に止まった。目がくりっとしたトイプードルの子犬だ。紹介欄に「生後3ヶ月」と書いてある。確かに他の犬の写真と比べると成長した分だけ少し大きい。
犬も猫も一般的には生後間もない「赤ちゃん」の方が人気があり、買い手がつきやすいことは知っていた。この子はそうした時期に買い手が見つからなかったのだろう。

それでも、写真の中でこちらを向いた顔はなかなか愛嬌があり、何とも愛らしい。顔立ちの整ったお利口そうな犬だ。「この子がいい !」と思い、店に電話し、早速行ってみた。

店員の案内で先程のトイプードルを見に行くと、成長してケージが窮屈になっていたため、特別に用意してもらった遊び場のようなところで他の何匹かの犬と一緒に遊んでいた。
写真で見た通りの愛らしい子犬だ。抱っこさせてもらうと思ったよりも小さく温かかった。

「この子犬を買わせてもらいたいのですが」
と店員に言うと、
「犬を飼うのは初めてですか?」
と聞かれた。「はい」と答えると、
「嫌なことを言うようですが軽いお気持ちでただ飼ってみたいから、というのであればお引取りください。」

と思いもよらぬ厳しい言葉が返ってきた。よくよく聞くと、生半可な気持ちで飼ってそのまま途中で面倒を見なくなる人が多く、店としても心を痛めているというのだ。

そういうことか、と納得した私は、「責任を持って最後まで面倒を見ます」と店員に伝えた。
店員はしばらく考える様子を見せた後、「分かりました」といってレジ前のカウンターに私を案内した。約30分ほど、飼うにあたっての注意事項を説明した後、子犬をキャリーケースに入れ私に渡してくれた。店を出る際、「必ずちゃんと面倒を見てあげてくださいね」ともう一度、釘をさされ、店を後にした。

キャリーケースは意外とずっしりとしていた。これは間違いなく命の重さだ。これから始まるこの子との生活が今から楽しみで仕方がない。隙間から中を覗くと、小さな顔をその隙間に寄せ、私の鼻を舐めた。「よしよし、これからよろしくな」と言いながら私は駅までの道を急いだ。

家に帰るとすぐにキャリーケースの外に出し、水を飲ませてあげた。小さな口でちょろちょろと懸命に飲む姿がまた何とも言えず可愛らしい。ひとしきり飲むとよっぽど疲れたのか、すぐに寝てしまった。私は店で買ったケージを組み立て、その中に子犬を入れた。

翌朝、笑顔で「おはよう」と言うと、昨日の疲れなど忘れたかのように嬉しそうに尻尾をパタパタさせている。ケージから出してやると部屋中を全速力で走り回りだした。

私は頭の中で思い浮かべていたおっとりとしたトイプードルのイメージとのギャップに戸惑いながらも、1日中、一緒に遊んだ。次の日もその次の日も。相当人懐っこいらしく、すぐに仲良くなった。

私は何か一緒にできることはないか考えた。
「そうだ、『お手』を覚えてもらおう !」。そう思い立った私はおやつを後ろに隠し、「お手 !」と言っては子犬の手を取って握る。それを何回か繰り返した後、もう一度「お手 !」と言って手を差し出してみせる。すると子犬はその手にぐっと鼻を近づけクンクンと匂いを確かめた後、首を傾げ「何?」というような顔を見せた。
「1回では無理か」と苦笑しながら何度も繰り返してみた。しかし何度やっても反応は同じで、鼻を近づけた後、困ったような顔をする。

その後も何度もやったがやはり反応は変わらない。おやつを使っても無理だった。「お手」はすぐに覚える子が多いと聞いていたので、「こんなに難しいものか」とほんの少し肩を落としながらも、練習を重ねた。
そうしているうちにあっという間に夏休みが明けた。

朝早く起きて仕事に行き、帰ってくるとひとしきり一緒に遊んだ後、「お手」の練習をする、という毎日が始まった。「慣れだろう」と思っていたが、そうでもないらしいことが分かってきた。

何度やっても同じ反応。どうやらこの子には芸は向いていないようだ。「みんなできるのに何でだろうね」と言って鼻先をつつくと、また嬉しそうに尻尾を振る。「やれやれ、仕方がない」、そう思って「お手」の練習はやめた。

秋が来ると仕事が忙しくなった。
まだまだ仕事で不慣れな部分も多かった私は、膨大な仕事量と残業続きの日々の中ですっかり心の余裕をなくしていた。
夜遅く帰宅しても少し子犬と遊んでやるだけで、そのまま疲れ果てて寝てしまう日が多くなった。週末も休日出勤をしてくたくたで帰ってくるのであまり相手をしてやれない。

私の中で罪悪感のようなものが生まれてきた。
初めてこの子と会った日、「責任を持って飼います」と言った自分はどこへ行ったのだろうか。今の自分はあまりにも無責任で心の余裕がなさすぎるのではないだろうか。そう思いつつもそうした現状を変えられない自分に腹が立ってくる。
「ごめんな」と言いながらケージの鍵を開けてその場でへたり込んだ。茫然としながらボロボロのおもちゃの転がったケージの中を見る。おもちゃを買い替えてあげることすらできていなかったのか···。

そんなことを考えていた時、先程まで楽しそうに部屋中を全力疾走していた子犬がこちらに駆け寄ってきた。普段は一度ケージから出した後はケージの方には戻ってこないのに、今日は戻ってきた。「どうした?遊んでおいで」と言ってもその場から動かない。そのまま30分、1時間と時間が経った。依然として子犬はケージのそばにへたり込んでいる私のそばを離れない。もしかして···。
(私が悲しんでいるのが分かるのだろうか)

「遊んでおいで」ともう一度言ってみる。やはり動かずにじっと私の顔を心配そうに覗き込んでいる。私の中で子犬への愛しさが急激に込み上げてきた。私は子犬を抱きしめた。
「人の気持ちが分かるんか、えらいなあ」
と言いながら頭を撫でるうちに泣けてきた。この子は人の悲しみに寄り添うことができる。何て優しい子なんだろう。私の涙を見て顔をペロペロと舐めてくる。もう一度強く抱きしめた。

その日以来、私はどんなに忙しくても帰ってから愛犬と遊ぶ時間と心の余裕を持てるようになった。今まで以上に「大切に育てたい」という気持ちが湧き出てくるようになった。仕事が終わるとすぐに帰宅し、ご飯とおやつをあげて目一杯遊ぶ。そんなごくごく普通の日常がかけがえのないものに思えてきたのだ。相変わらず、私が声をかけるたび、ブンブンと尻尾を振りながら小さな鼻を近づけてくる。
「行ってくるよ」、「ただいま」という度にお互いに鼻を近づけて見つめ合う。それがいつしか私たちの挨拶になった。

他の多くの犬ができる「お手」はできないが、人の心に寄り添うことがこの子にはできる。この子だからできるのだ。みんなができることができなくたっていいじゃないか。その子その子に他の子にはできないことがあり、その部分こそが本当に大切な個性なのだろう。人間や子育てにも似たようなところがある。できないことではなく、長所やその子にしかできない素晴らしい部分に目を向けられるようになると、相手やわが子に対する気持ちや接する態度もガラリと変わることがある。この小さな命は私に何かとても大切なことを教えてくれたような気がする。

今日もようやく仕事が終わった。
金曜日だし、久々に同僚と飲みにでも行って帰ろうか。いや、やっぱり寄り道をせず、まっすぐに帰ろう。そして玄関を開けたらいつものように鼻を近づけてこう言ってみよう。

「ただいま、これからもよろしくな !」



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