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輝きは音楽とともに。音楽は私がやりたいことに向き合えるチカラ

#教員 #音楽 #ジャズ #ライフデザイン #インタビュー #働く女性  

「これからどうしよう?」と迷ったとき何かのヒントを見つけてもらえればという思いで【L100】自分たちラボが紹介してきた「身近にいる普通の働く女性たち」のキャリアや人生についてのインタビューエピソード。

今回は、30代後半で「自分のやりたいこと」に向き合おうと思い、仕事と趣味とを充実させることができたEvaさん(仮名)のエピソードです。

Evaさん(40代後半)
経歴: 大卒後、就職氷河期での2年のブランクを経て、小学校の正規教員となり上京。その後、挫折や紆余曲折があり一度退職するも復帰。現在は小学校の音楽専任の教員として従事。20代でボーカルの師に出会い、30代でジャズサークルに参加。ジャズシンガーとしてライブをしたり、オリジナル曲の配信も行っている。夫と二人暮らし。

―――今回、ライフヒストリーや人生曲線を書いてみていかがでしたか?
紆余曲折は激しいですが、歳を取れば取るほど、人生を楽しんでいると感じます。
小学生の頃、いじめを受けていましたが、習っていたピアノを頑張ることで克服。中学、高校はいわゆるガリ勉。希望の大学に入った途端に燃え尽きて、心を病んでしまいました。20代、30代は苦しいことが多かったです。でも、いつも支えてくれたのが「音楽」でした。
40代を前に、これからは「好きなことしかしない」と決めました。とても自分勝手なワードですが、それが、人生を充実させる転機になりました。
50代から先、人生曲線は上り調子にしていますが、悲しいことやつらいこともいっぱいあると思います。けれどとらえ方次第。上下しながらも生きていければいいなと思います。

Evaさんが描いた人生曲線

苦難を克服しながら頑張って、18歳でポキッと折れた

10~20代初め:学生時代

―――学生時代のことをもう少し教えてください。
超慎重派で、物事はコツコツ黙ってやる子でした。小学校の頃から親に公務員になるよう言われていました。実家は自営業で、苦労していたので。
小学校ではひどい「いじめ」を受けていました。小4の時、ものすごく厳しいピアノの先生に出会い、怒られたくなくて毎日2〜3時間練習していたら、みるみる上手くなりました。練習はきつかったですけど、ピアノが上手くなったことで自信がつき、勉強や運動もできるようになり、小5からいじめられなくなりました。
「学校の先生になりたい」と思ったのはこの頃です。小5の担任の先生に憧れたことと、当時大人気だったドラマに影響されました。「教師は人を変え、幸せにすることができるすごい仕事なんだ!」と、子ども心に思ったんです。
中学、高校は「教師になる」という気持ちで勉強し、大学の教育学部に進学しました。自立心が強かったので、地元の大学ではなく、関東の大学の小学校音楽課程を選びました。でもこの時はまだ、音楽専門の教員になるイメージではなかったんです。特技の音楽を活かして合格の可能性を高めよう、ただそういう気持ちでした。
勉強やピアノを頑張りながら、苦しむことや努力することで、自分の存在を確認しているみたいなところがあったんです。でも、大学に合格したら、そこから先が見えていなかった。それで、心がポキっと折れました。38kgまで体重が落ちて、引きこもりがちになり、いつの間にか、学校の先生になりたいという気持ちは薄らいでいきました。大学ではジャズ研究会に入ったのですが、心身の状態から、夏には全く通わなくなりました。

―――その状態からどのように回復したのですか?
大学3年の時、地元の友達が誘ってくれたアメリカ旅行であっさり解決しました。帰国したら体重も増えていて。地元の友達はさっぱりしたタイプの子で、住んでいる場所も離れていたから、人間関係が気楽だったのもしれません。
心身共に元気になったけれど、教員になるつもりは全くなくて、「教員免許だけは保険に取得しておこう。」という感じで、教育実習も適当でした。大学4年生で、教員採用試験も受けませんでした。このまま社会人になりたくない、気持ちが定まらないまま進みたくないという感じでした。
親には事後報告しました。電話の向こうで母が激しい怒りと共に号泣していました。
就職活動はせず、夏休みはドイツに語学研修という名目で遊びに行きました。ただ振り返ってみると、私にとって「行きたい場所に行くこと」や「やりたいことを素直にやること」は、人生の中で良い結果を導いていると思います。

アップダウンといろいろな出会い

20代~30代前半:就職と音楽の師との出会い

―――それでも結果的には教員になった? 
書くことが好きになったので、雑誌編集がやりたかったんですが、当時は就職氷河期だったこともあり、ことごとく不採用。地元に帰り、市役所でアルバイトをしていました。
でも地元にいると、家族に甘えたくないという自立心が湧き、実家を離れるためには、教員になって再び上京することだと思って試験を受け、正規採用に至りました。就職氷河期で倍率はかなり高かったので、よく合格できたなと思います。

―――就職してからはいかがでしたか?
上京してからは、今も交流のあるボーカルの師匠に出会い、働きながらレッスンを受け始めました。
ところが、4年間勤めた28歳の時、学年主任になって役割が重くなり、仕事もきついし、結婚を前提にお付き合いしていた彼との恋愛もうまく行かず、すべてに自暴自棄になってしまったんです。逃げるような気持ちで、教師の仕事を辞めて、実家に帰りました。

―――その後、どのように立ち直っていったんですか?
仕事も結婚もゼロにしてしまった自分に対して、意外にも両親は寛容でした。毎日、何もしないで喫茶店で本を読んで過ごしていました。
でも、音楽は辞めたくないという気持ちが強く残っていて、数ヶ月後、気持ちが安定してきた頃に、地元のアルバイトや非常勤の教員で小遣いを稼ぎ、何ヶ月かに1回、東京へボーカルレッスンに通うようになりました。
その小遣い稼ぎの気持ちで行った地元の小学校の教員としての時間があまりにも充実していて、「教師に復帰してみよう」という気持ちが芽生えました。両親も上京して教員をやることを応援してくれました。 娘をまた遠くへやりたくなかっただろうに…。感謝しかありません。

31歳の時上京し、再び採用試験を受けて合格。教員として再出発しました。
プライベートでは過去の恋愛経験から、「もう結婚はしなくていいかな」と思っていたのですが、今の主人と出会い、34歳で結婚しました。

悲しいことが続き、「自分のやりたいこと」に向き合おうと思った

30代後半:転換期

―――曲線を見ると、いったん上がって、また落ち込んでしまっていますね?
35歳で流産したんです。悲しくて数日号泣し落ち込みましたが、ふと考えました。「子どもがいる人生でないといけないのか?」って。「どちらかと言えば、いない人生の方が私には合っているかな」と思いました。主人は子どもを欲しがっていたので、意見の食い違いで離婚しかけたこともあります。結局、授かりものだから自然に任せようということになりましたけど。

―――その後、また曲線が上がっていったのは?
流産した年の翌年に東日本大震災がありました。それで「いつ何があるかわからない、やりたいことはやっておこう」と思ったんです。ちゃんと自分のやりたいことをやろう、自分に向き合おうと思いました。35~40歳は大事な時間でした。一番の変化は、ジャズを歌うようになったことです。
きっかけは、習慣化コンサルタントの古川武士さんの本を読んで感銘を受け、古川さんに直接連絡してコンサルをお願いしたことです。自己探求するうち、大学のとき少しやっていたジャズにたどり着き、「ジャズを歌いたい!」と思いました。
自宅のすぐ近くにジャズサークルがあることを知り、怖々行ってみました。最初は、うまくいかなくて逃げ出したい気持ちになりました。でも、このまま何もしなかったら元に戻るだけ。それは絶対に嫌でした。「迷惑かけても一曲5分だけだ!」と、2回、3回参加するうちに、ジャズボーカルのコツがわかってきて、ついにはバンドを結成して地域のライブに出演するようになりました。ジャズを通して、新しい仲間や、知らなかった世界が広がっていきました。
歌う私は、学校の先生でもない、妻でもない、自分なんです。ずっと自分の支えになってきた音楽がやっぱり自分を輝かせるんだと確信する経験でした

趣味でジャズを続けながら、学校では多忙極まりない担任をしていました。そのうちに「音楽を仕事に活かしてもいいんじゃないか?」と思うようになり、40歳を前にして音楽専任で働ける学校に異動したいという希望を出しました。そうして今勤める学校に異動し、担任ではなく、音楽専門の教員になりました。

―――音楽専任の先生になってみてどうでしたか?
「音楽の先生になるのは、担任からの逃げなんじゃないか?」と2年くらい悩みました。でも、自分の人生は「苦しい」ことが多かったけど、「楽しい」を選択しても、音楽なら人の役に立てるのではないか?と思ったんです。それは自分の予想でしかなく怖かったですが、大正解でした。担任のときより、音楽を通して子どもと接した方が、誰かの役に立っているという実感や手ごたえがあります。自分の音楽経験を授業に活かし、子どもたちから、「先生の授業になってから、嫌いだった音楽が好きになった」とよく言われます。その言葉に、自分の使命すら感じます。

ベトナム旅行で胸に残った「大丈夫」という言葉

40代:オリジナル楽曲配信

―――40歳手前でそのような転換があって、40代になって人生曲線は上がっていっていますね?
 
42才の頃、病気で手術をすることになり、その前に「やりたいことは今やろう」と、友達が教員をしているベトナム・ホーチミンに行きました。
その友達がサプライズで手配してくれて、ホーチミンのジャズクラブで歌う体験もしました。ステージ前に緊張していると、オーナーでプロのサクソフォン奏者さんから「大丈夫だから」と、日本語で何度も言っていただきました。日本で歌う時よりものびのびと、不思議なくらい、いい歌が歌えました。
あと、ベトナム人の学生に観光案内してもらった時、ホーチミンでは、赤信号でも青信号でも気にせず道路を渡るんですが、ビクビクして渡れずにいたら、その子が私の手を引っ張ってくれて「ダイジョウブ、ダイジョウブ」って笑顔で言うんです。
帰りの朝、飛行機に乗る前にいろんな言葉があふれてきて、吐き出すように紙に書きました。それを帰国後に『大丈夫』というタイトルの曲に仕上げました。「大丈夫」って私にとっては魔法の言葉です。この旅は、大きな意味のある、素晴らしい旅になりました。

帰国後ライブで、『大丈夫』のピアノ弾き語りをしたら、カメラ好きの友人が「ミュージックビデオにしてみようよ」と言って撮ってくれました。
その後、ボーカルの師匠から久しぶりに連絡が来て、歌を配信する企画を紹介してもらい、『大丈夫』のサブスク配信のために、レコード会社に所属しました。
自分の行動してきたことがご縁でどんどんつながっていく体験でした。教員だけやっていたら起こらないことですし、音楽を続けていなかったら繋がらなかったご縁です。

安定志向で心配性なので基盤はしっかりしたい

今後について

―――これからについては何か考えていますか?
基本、私は安定志向の心配症なので、お金の安定、健康、家族がうまくいっていることなど、生活の基盤はしっかりしたいと思っています。
反発もしてきたし、感謝もしてきた両親を、大切にしたいという想いが年々強くなってきました。父母をとことん介護したいと思っています。離れていることに不安があって、地元に自由に帰れる仕事の仕方がないかな?と思い始めています。
定年の65歳までここで働いて、65歳からは、できれば親の近くに住み、主人も一緒に田舎で暮らしていけないかな?と考えることがあります。実現するかどうかは未知ですが。
公務員の立場は自由度が低くて窮屈なので、独立するというのも視野にはあります。これも未知ですが。でも、どんな形であれ、音楽は死ぬまで寄り添い続けると思います。

私は教員ですが、音楽活動を趣味以上にやってみたり、占星術もプロの認定を受けたり、だじゃれ協会の会員になってみたり(笑)、ユニークな人生です。これからも好奇心を持ったことはどんどん扉を開けていきたいです。

失敗はない、フィードバックがあるだけ

女性たちへのメッセージ

―――今、迷っている女性たちに何かアドバイスやメッセージがありますか?
きっかけがあり、最初の一歩は踏み出すのに、2歩目を踏みださない人って多いと思うんです。
私が初めてジャズサークルに行ったとき、歌をさんざん失敗し、「もう次は行けない、あんな恥ずかしい思いをもうしたくない」と習慣化コンサルタントの古川武士さんに話したとき、「失敗はない、フィードバックがあるだけ」という言葉をいただきました。「失敗したと思ったことも、8%の気づきがあり、それで次につなげられる」と。だから勇気を出して行ってみようと言われました。それが今に繋がっています。人それぞれ考え方はありますが、自分の思い込みで何かを諦めるのはもったいないです。

―――今日、インタビューに参加してみていかがでしたか? 
もっと未来のビジョンを持ちたいと思いました。100歳まで本当に生きられるとしたら定年後に35年ある。65歳まで本当に働くのかもまだ固まっていません。波乗りのように、そのときふと来た波に乗るように生きるかもしれない。山登りのように、目標を見つけて進むかもしれない。
いま、50歳の節目に、10年ぶりのソロライブを企画し、リハーサルを始めています。これからも音楽を通して、自分を見つめ続けていきたいです。

(*文中の写真はイメージ写真+ご本人提供写真)

インタビュアーズコメント

音楽が自分を輝かせてくれる、と気づいた時、とても力が湧いて来たんだろうな、とお話を伺っていて思いました。超慎重派でありながら、アップダウンのある人生を送って来て、「これからは自分のやりたいことをやる」と決めたことが大きな転機になったとのこと。積み上げて来たつながりと、Evaさんの行動する力が相まって、人生が輝き始めたように見えます。今後も変化していく状況の中で、音楽がいつもEvaさんの支えになるんだろうなぁ、というのがとても素敵に感じました。 

【L100】自分たちラボ からのお知らせ

ライフデザイン研究会【L100】自分たちラボでは、働く女性に対するインタビューを行っています。詳細は『働く女性の人生カタログ』~プロローグ~をご覧ください。
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