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エッセイ「また、会えるよ」

 死んだ父の夢を見ることがある。食道がんで五十一歳に亡くなった父は、夢の中では元気なときの姿で、川のほとりに立っている。

 それは私が子供の頃に家族でよく通ったニューヨークのハドソン川であったり、湖のように大きな見知らぬ川だったりした。
 川はゆったりと流れて、淡い青空の下、静かに水面が輝いている。少し霧がかかって、遠くの対岸には近代的なビルなどの現代の街並みが見える。他に人はおらず、私と父の二人きりだ。
 
 父の出てくる夢はもう何度も見たので、夢の中に現れても、私はすぐに相手は死者だと察するようになった。あの世で楽しく漫画を読んだり、音楽を聞いたりしていると、父が話してくれることもあった。

 それでも夢の中で父と会うたびに、浮かれるような気分とともに、胸をぐっと掴まれるような、悼む気持ちになる。短い時間の邂逅だ。私が目を覚ます前に、急いで自分の気持ちを話さなくてはと思う。だのにうまく言葉が出てこなくて、つい普通に接してしまう。

 「お、父ちゃん、死んでいるのに顔色いいね」
と、私がジョークを飛ばすこともあった。
 「早く母に電話をかけて、愛しているって伝えなよ」
そう、夢の中の父を急かしたこともあった。
 
 あるとき、夢の中で私と父は大きな川の河原にいた。やはり二人きりで、足元には白や黒や、灰色の丸い石の河原が広々と続いている。
 
 夢の中で会う父の服装は普段着だったと思うけど、ぼんやりとしか覚えていない。明確に覚えているのは、近くを流れている、大きな川の清涼さだ。遠くは白い霧にかすんでいて、気持ちの良い風が吹いていてすがすがしい。水面は波に合わせていくつも小さな輝きが揺れて、ゆったりと流れている。
 
 河原のほとり、私から五歩ほど離れた場所に、父はハーシーのキスチョコの袋を右手に持って立っていた。銀紙に包まれた小さな菓子が、透明なビニール袋の中に十個ほど入っている。
 ハーシーのキスチョコ。子供の頃、家族でアメリカの工場見学をして、ハーシーのチョコレート工場に行ったことがある。そのとき家族でキスチョコを食べた。懐かしい菓子だ。

 愛しているよ、と父から言われた気がした。
 私は笑いながら父に向かって片手を出し、冗談めかして返事をした。
「うん、愛している、愛している。チョコ下さい」
「お前のそういうところは、どうかと思うぞ」
 そう言いながらも父はキスチョコの袋を渡してくれたので、私は笑って受け取った。

「どうして夢で何度も会えるの」
「お前と私は似ているからね」

 また会える。そんな思いがあって、私はあまり夢の中の再会に頓着しない。ここも彼岸のほとりだろうに、現代的なビルが遠くの対岸に淡く見えていて、私の近所の日本の川と繋がっているのではないかと思うほどだ。
 
 その夢を見た日は、起きてから近所のスーパーに行って、キスチョコを一袋買った。その方がいい気がした。ころんとした形の一口チョコを、銀紙を剥がして食べる。アメリカ菓子らしい甘い、少し硬いチョコの味が口に広がった。

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