191002_松下幸之助_1280_670

大鵬のごとく大空を舞う

松下幸之助 一日一話
11月 1日 人の世は雲の流れの如し

青い空に、ゆったりと白い雲が流れていく。常日ごろ、あわただしさのままに、意識もしなかった雲の流れである。速くおそく、大きく小さく、白く淡く、高く低く、ひとときも同じ姿を保ってはいない。崩れるが如く崩れざるが如く、一瞬一瞬その形を変えて、青い空の中ほどを、さまざまに流れてゆく。

これはまさに、人の心、人のさだめに似ている。人の心は日に日に変わっていく。そして、人の境遇もまた、きのうときょうは同じではないのである。喜びもよし、悲しみもまたよし、人の世は雲の流れの如し。そう思い定めれば、そこにまた人生の妙味も味わえるのではないだろうか。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

「人の世は雲の流れの如し」とは、お釈迦さまの仰る「諸行無常」、或いは、松下翁の仰る生成発展のための「万物流転」とも換言出来ます。言葉を加えますと「人の心も、人のさだめも、はたまた人の世も、留まることなく雲の流れのように流転してく。」のであると仰っているのではないでしょうか。

平安時代前期の勅撰和歌集である古今和歌集には、「人の世は川の流れの如し」とする以下のような歌があります。

「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(古今和歌集)

世の中に変わらないものなどあるだろうか。いや、ありはしない。あす
(明日)という言葉を内に持つ飛鳥川は、昨日は淵だったところが今日は瀬になっている。という意味です。

同様に、中国古典において超越の思想、即ち小さな現実に振り回されず自在に生きる教えを説く「荘子」には以下のような言葉があります。

「人は流水に鑑みるなくして、止水に鑑みる」(荘子)

流れる水はざわついているので、人の姿を映し出すことができない。静止した水は澄みきっているので、あるがままに人の姿を映し出す。人間も、静止した水のように澄みきった心境になれば、いついかなる事態に遭遇しようと、あわてることなく正しい判断を下すことができる。という意味です。

荘子はまた以下のようにも言っています。

「鑑(かがみ)明なれば塵垢(じんこう)とどまらず、止まれば明ならざるなり」(荘子)

鏡がきちんと磨かれていれば塵は付かない、塵が付くのは鏡が曇っているからだ。という意味です。

上記にある荘子の2つの言葉から「無心の境地」を表わす「明鏡止水」という言葉が生まれたとされています。

松下翁は「人の世は雲の流れの如し」と類似する次のような言葉も残されています。

「逆境もよし、順境もよし。 要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。」(松下幸之助)

この「素直に生き抜く」とは、荘子のいう「静止した水のように澄みきった心境」や「塵が付かない曇りのない心の状態」で生きることであるとも言え、素直な心で生き抜くことで、流転する小さな現実に心を縛られることなく、それを妙味として味わえるほどに大きく生きることが可能になるのだと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

頂いたサポートは、書籍化に向けての応援メッセージとして受け取らせていただき、準備資金等に使用させていただきます。