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発信の気力のジレンマ

基本的に私はヘタレである。
人と会うのも怖い、電話も怖い、不安で押し潰されそうになりながら生きている。

そう言いながらも毎日何かしらツイートしたり、ブログを書いたり、ここnoteに思いの儘を綴って公開している。

自分から何か発信するのは、誰かに受け取って欲しいという気持ちの表れだと分析する。
不特定の誰かに私という存在を知って欲しい欲求なのでは無いかと思う。
ここには大きな矛盾が生じている。
人が怖いのに、なぜ人と関わろうとするのか。

不特定多数に対しての発信は、別に無視されても構わないという気楽さを備えている一方、誰にも反応されなかったら悲しいという気持ちもある。
もし、何も発信しなければ、存在を認めて貰えないという寂しい気持ちもある。

コロナで家に籠るようになってから、4畳半くらいの自室で過ごす時間が長くなった。
この狭い空間に自分のベッドと机とiMac、そしていつも傍に犬がいる。
殻の中は安心感に満ちているはずなのに、それでも殻の外に出たいと足掻く日々。
そばに犬さえいれば、好きな時間にクラリネットの練習をして、好きな事だけしてコロナが終わるまで生き延びれば良いはずなのだ。
なのに、私の心は満たされず、また文章を綴ってしまうのだ。

コロナ渦で大きく発展したのはオンラインで誰かと繋がるという事だ。
そうだ、私も何かやろう!
付け焼き刃的と思われるかもしれないが、オンラインレッスンを始めた。
恐る恐る始めたレッスンではあるが、生徒さん達がつき始め、提供しているレッスン内容に興味を持って頂いて頑張っている様子を見ると、私が出来る事はまだある!と思えるようになった。

今から遡ること既に約10年、東日本大震災が起きた時のことだ。
以前、当時のことを私目線で述べたことがnoteの中のどこかにあると思う。

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私は、あるイタリア系カフェ&レストランでパティシエをしていた。
地震の翌日、出勤したら店のオーナーに休んでも良いよ、と言われた。
地震のニュースはイギリスでも大きく報道され、同僚達は赤く腫れた私の目を見て同情してくれた。
でも家に居れば、ただひたすら地震の被害情報を検索し続けるだけと思い、そのまま仕事をこなした。
遠く離れた私は役立たずで、何も出来ないと悲しく泣いていた。
ふと、仕事中に聞き流している地元のラジオ局に問い合わせようと思い付いた。
ラジオ局にメールをすると、すぐに返事が来て私の話を取材したいと言ってくれた。
お店のオーナーに許可をもらって職場へインタビューに来てもらい、地震の被害状況を話し、募金を呼びかけてもらう事になった。
翌日から暫くの間、ラジオから時おり私の声で被害状況と募金を呼び掛ける声が流れ、仕事中に自分の声を聞くのは歯痒かった。
さらに、地元の日本人コミュニティーでチャリティーイベントを行う事になった。
ちょうど桜が咲く頃だったので、お花見イベントとして宣伝した。
私もその主催者の一人として、何人かと分担して大量の唐揚げを揚げ、友人は大量のカレーライスを販売した。
材料は普段職場でお世話になっている野菜やお肉の卸業者さんへ協力をお願いして、安くまたは無料で提供して頂いた。
こうやって、数時間のイベントで約3000ポンド(当時日本円で50万)の売上、職場に置いた募金箱に100ポンド以上の寄付金が寄せられた。このお金は赤十字を通して日本へ送られた。
私は正直言って、自分の中に何かを発起する勇気がある事に驚いた。
この時は世界中で同様のチャリティーイベントが行われていたが、みんな少しでも日本を助けたいと必死であったのだろう。

あの時、私のどこからか湧き出た必死な勇気は今は影を潜めている。
世の中には色々発信して成功している人が沢山いる。
ヨークシャーの田舎に住んでいるごく普通の一般人の私が発信することに興味を持ってくれる人なんているだろうか、といつも思いながら細々と公開している。
オンラインレッスンも、私なんかで良いのだろうか?と内心不安になりながらも、ちょっと勇気を出して始めたことで、少し心が満たされ始めている。

シェイクスピアのハムレットの中に出てくる有名な一節で、
To be, or not to be, that is the question. というのがある。

やっても怖い、やらなくても怖い、結果はどっちにしろ怖いのではあるが、
今日も殻の外に出ようと、やはり何か発信してしまうのだ。
いつも読んだり、コメントをくださる方々には感謝しかない。
ありがとうございます!

読んで下さってありがとうございます💝