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リカバリ 担当:寺橋佳央

リカバリと言う言葉を認知したのは、大学生の時。初めて買ったパソコンに付属していたCD-ROMに「リカバリCD-ROM」と書かれていた。私はこのCD-ROMを全てを無に還すCD-ROMと認識していた。

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「しりとり手帖とは」に、この手帖の説明は書いたが、ここでは、なぜ始めようと思ったか個人的な背景を書いていこうと思う。

私は普段1人でコンドーム自販機を巡り、気ままに1人でZineをつくったりしている。1人で行動するのも好きだし、気楽でいいとも思っているが、複数名でイベントをやったり、Zineを作ったりする人々がずっと羨ましかった。
だけど団体行動は子どもの頃から苦手。今更誰かと何かをするのは無理だと思っていた。

だが最近になって、団体で活躍する人々は、団体の中での振る舞い方を知っているだけなのではと思うようになった。反対に私はそれを知らないから、苦手と思い込んでいるのではないか。更に団体で行動するためには、私は私の全てを殺して参加しなくてとも思っていたが、恐らくこれも必要ないのではないかとも思い始めた。私は極端で、白か黒しかない考え方をする。これも最初分かった。
振る舞い方を知らないだけなら、私でも出来る複数名で創作する方法があるのではないか。私はその方法を模索し始める。

誰かと何か創作をしたいけど全部誰かと一緒はしんどい。特に自分が創作するものは、全部自分でコントロールしたい。私はそんな強欲さも持っている。誰かと繋がりつつ、自分の領域も守る。その手段として思い浮かんだのが「しりとり手帖」だった。

なぜ「手帖」なのかは、最初交換日記を思い浮かべたからだ。だけど交換日記は、前に書かれたものに何らかのコメントをしなくてはならない。毎回それは、ちょっとめんどくさい。繋がりつつも個別でいられるもので浮かんだのが、しりとりの言葉に乗せて創作するという案だ。
そして交換日記の「日記」の部分をなんとなく「手帖」に変換して、しりとりとくっつけたら何だか収まりがいいので、そのまま「しりとり手帖」になった。

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リカバリCD-ROMを私は全てを無に還すと記憶していたが、リカバリには修復や回復の意味もある。

私は友達付き合いがものすごく下手くそで、具体的な用事がある時以外しか声がかけられない。また声をかける時は敬語とかビジネス口調とかになってしまう。友達に具体的に用事がある方が少ないので、結局連絡を取らなくなり、せっかく繋がった縁を無にしてしまう。
用事がないから仕方ないとか、きっとみんな忙しいからとか、そんな風に勝手に考えて、友達付き合いが続かないのを物凄く寂しいと思いながら、1人で旅行したり、博物館に行ったり、1人で楽しめる事ばかりをして、ずっと自分を誤魔化してきた。
ずっと誤魔化し続けると、不思議なもので、自分が酷く傲慢な人間で、1人でいても仕方のない人間と思うようになってくる。そうすると、より遠慮しながら人と接するようになり、余計に友達が出来なく無くなっていく。
私は自分で誤解したリカバリの状態、自分の状況を無にしていた。

パソコンを買ってリカバリCD-ROMを使った事はない。だって全てを無にするなんて怖いじゃないか。今まで積み上げできたものが全部無くなってしまう。だけどリカバリCD-ROMは全てを無にしてしまうけど、新たにデータを積み上げるために存在していた。

恐らく私は、ずっと人に対し遠慮をし続けてきたので、他人の印象には残らない人間になっているだろう。また私は本当に傲慢で、1人でいても仕方ないの人間なのかもしれない。だけど私は自分でも出来そうな方法で、やってみたかった複数名での創作を始める。
このしりとり手帖で、私は私自身をリカバリしていきたいと願っているのだ。

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ところで、ここまで何だか良い話と思って読んでいただいたかもしれないが、私が選んだ言葉は「リカバリ」。「リ」で始まって「リ」で終わっている。そう、しりとりあるあるのアレを一発目で私はぶちかましている。アレとは

また「リ」?!

である。私もしりとりをしながら何度「またぁ?!」と叫んだことか。次のメンバーもまさか「リ」で考えることになるとは思ってますまい。そんなイタズラを仕掛けて、私の担当はこれにておしまいである。


※しりとり手帖の説明についてはコチラから

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