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磯遊び 担当:中村文

愛してやまない磯遊び。その面白さに目覚めた日を、今でもはっきりと覚えている。

小学二年生の時、遠足で真鶴の三ツ石海岸に行った。潮の引いた磯場に降りると、足元の潮だまりの中でなにかが動いている。キラキラ光る水面の下で、巻貝がサーッと移動していた。その素早さに違和感を感じて恐る恐る手に取ってみると、細いカニのような足が出ている。ヤドカリだ。それまで図鑑でしか見たことのなかった生き物が今自分の掌に乗っている。無性にドキドキした。
目が慣れてくると、深さ10センチもないような潮だまりの中にヤドカリだけでなく、小魚やカニ、エビまでも、泳いでいるのがよく見えた。手が届く近さで、こんなにたくさんの海の生き物を見るのは初めてだった。そのどれもがとてもユニークで、いくら眺めていても飽きない。これまで感じたことのない高揚感で心臓がバクバクし、帰りのバスの中でも、こんな楽しいことがあるなんて!と胸がいっぱいだった。もう30年も前のことなのに、その興奮をありありと思い出せる。
遠足から興奮して帰ってきた私は、またあの海に行きたいと母に熱く訴えた。本やお絵描きが好きで運動は大嫌いな子供の、初めてのアウトドアなお願いごとだったのではないかと思う。しかし茅ヶ崎の自宅から三ツ石海岸は頻繁に行くには遠い。そこで両親は他の場所を探してくれた。その一つが葉山の一色海岸だ。こうして家族での磯通いが始まった。

一色海岸の透明度の高い水辺にはテントを張れる砂浜と険しすぎない岩場があって、振り返れば見守るように山が立ち、ただ佇むだけでも気持ちが良い。天気や潮の具合などの条件が合う週末には、家から車で1時間ほどのこの磯にせっせと出掛けた。
葉山まで遠出する時間がない時は、地元茅ヶ崎のヘッドランドと呼ばれる人工の堤防に出かけることもあった。上から見ると海岸にアルファベットのTの字が刺さっているような形の突堤(とってい)でだったことから、家族内ではT字の堤防、略してT字と呼んだ。こちらは家から自転車で20分ほど。潮だまりはないけれど、干潮になると潮の流れで魚が沖に出て行きにくいようで、波打ち際でいろいろな生き物を捕まえられた。環境の良さは葉山のほうが数段上だけれど、この街にも沢山の生き物がいるんだ!というまた別の感動があり、T字も良い遊び場になった。

磯遊びの回を重ねるごとに探し方のコツが分かり、捕まえられる生き物の種類も増えていった。カニ、ハゼ、エビ、イソギンチャク、ヤドカリ、ヒトデあたりは安定のレギュラーメンバー。ウミウシやアメフラシ、ナマコ、ギンポあたりも準レギュラーで、ここにイカやタコやシャコ、ときには小さなサメ、様々な魚など、その時々でワッとテンションが上がるスペシャルゲスト的な獲物が加わる。出会えるかどうかは本当に運だ。水槽に捕まえたものを入れていくと自分だけの小さな水族館が出来ていくようで、ここに少しでも珍しい生き物を入れるぞ!と心がギラギラする。
時間は飛ぶように過ぎ、毎回後ろ髪をひかれる思いで帰路に着いた。でも家に戻れば、見つけた生き物を調べる楽しさが待っている。美しい写真がたくさん載った図鑑を眺めるのも、心躍る時間だった。

図鑑では分からないことが、意外な場所で分かることもあった。ある時水槽を眺めていて、透明なリボンのような謎の魚がヒラヒラと泳いでいるのに気がついた。他の生き物を捕った時に一緒に入ったようで、まるで水の中に目玉だけが浮いているように見える。全長5センチほど、幅は1センチくらい。調べても名前が分からず、その見た目の奇怪さもあってずっと印象に残っていたのだが、なんとその正体が寿司屋で判明した。春の珍味としてポン酢をかけられて出て来た「のれそれ」という魚が、謎の魚だったのだ。
「のれそれ」はアナゴの稚魚で、ウナギ目(ウナギもく)の幼魚はこういった扁平な透明の形をしているそうだ。家族みんなで正体を気にしていたので、小上がりの座敷で大喜びしたのが懐かしい。磯遊びのおかげで、こんな風に小さな点が線になる面白い瞬間がたくさんあった。

こう話していると海遊びならなんでも好きそうだけれど、意外にもダイビングには夢中になれなかった。大人になって沖縄の離島でダイビング体験をし、ウミガメやカラフルな魚に囲まれながらも、綺麗な海を選んで、ボンベまで背負って潜れば、当然いろいろな生き物がいるよなと、どこか醒めた気持ちの自分に驚いた。私が魅力を感じるのは、身近な海の、潮の引いた磯という、限られた時間、陸との狭間のように生まれる場所で生き物と出会うことなのだと分かった。あとは単純に、目の前にいるものを捕まえてみたいのだ。

結婚し、家庭を持った今は、3人の子供たちと一緒にまたT字に出かけたり、たまに葉山の海辺にある森戸神社にも足を伸ばしたりしている。森戸神社は河口に位置していて、汽水域特有の生き物が捕まえられるので、新たなお気に入りスポットになった。親としては、海には危険がたくさんあるので、磯遊びの最中、常に緊張感もある。自分が子供のとき、一緒に生き物を追いかけてくれた父と、見守りに徹してけして網を手にしなかった母の気持ちが今になってよく分かった。それでも、子供たちが海の生き物と出会い、捕まえ、喜ぶ姿を見るのは本当に嬉しい。
去年の夏、長男が網で大きめのフグを獲り、私が思わず快哉を叫んだら、「ママがこんな大きな声で喜ぶのを初めて聞いた」と目を丸くしていた。海から帰って一緒に図鑑を調べながら、たくさん海に連れて行ってくれた両親もこんな気持ちだったのだなと、改めてありがたく温かい気持ちにもなる。なる、のだけれど。本音を言えばやっぱり、もっともっと生き物と自分の対決に没頭したい。そこで、三男が幼稚園に入ったら、彼らのいない昼間に1人で存分に磯遊びをしようと心密かに決めている。磯遊びはどこまでも、私自身のライフワークなのだ。


【著者紹介】
ゲスト参加させていただいた中村文です。3人の男の子の母業の傍ら、PORTO(ポルト)という屋号で、ポーセラーツ(磁器絵付け)のオーダー制作をしています。
画像は海の生き物柄のカップアンドソーサーセット。
器から表札まで、他にはないオリジナルのアイテムをお探しの際は、ぜひご相談ください。

https://www.instagram.com/porto.order_gallery


(※今回は寺橋が代理で投稿しています)。

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