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興味と関心 - なんでコンドーム自販機を巡ってるのか分からない⑫

もし今「コンドーム自販機をあげるよ!」と誰かに言われたら、即「いらない!」と答える。理由はじゃまだから。そして単純に欲しくない。本当にいらない。
多分私のような人はマニアと呼ばれ、そんなマニアなら対象物を欲しがって当たり前と私も思うのだが、心の底からコンドーム自販機はいらない。
コンドーム自販機は路上で見てると大きさがよく分からないが、一般家庭の中にあったなら、結構デカくて、かなりじゃまだと思う。そんなことを冷静に思う程にコンドーム自販機はいらない。

また機械系のマニアが何処のメーカーの機種なのか、何年製なのか等、機械の仕様や細部を細かく調べ、分類している人が多数いるのも知っている。コンドーム自販機も機械なので、色々調べた方が良いのかも知れないが、私は興味がない。
とは言え、一応調べた方がいいのかな?と思い、何処のメーカーなのかを自販機を見て確認したが、そのくらいしかしてない。それも私が活動を始めた時には既に沢山のマニアがいて、みんな仕様を細かく調べていたので、やらなきゃいけないのかしら?と思い調べただけで、マニアの存在を知らなかったら、機種の確認をしたかどうかも危うい。

コンドーム自販機は古い機械なので、古い機械のマニアなら機械の歴史も調べるのかも知れない。私もざっと調べてみたものの、そもそも対象がニッチ過ぎて資料がない。また資料の探し方も分からない。
その後色々探してみて、コンドーム自販機は大阪で誕生したのが最初らしいと確認したが、それ以上に歴史を調べようとは思わなかった。

マニアならきっと調べるに違いない、マニアならきっと関心を持つに違いないと思われる色々な事柄。それらに私は興味がない。なぜ興味が無いかと聞かれれば楽しくないから。分類したり、文書を調べたりするよりも、私は外に出たい。私がやっている事に近いのは、巡礼だろうか。
巡礼と言えば、四国八十八箇所巡り。お遍路さんである。八十八箇所をまわっている人で、八十八箇所全ての寺院の詳細を調べ、各寺の特色を独自にまとめている人は少ないだろう。私もそれに近いのだろうか。
お遍路さんは八十八箇所巡る場所があり、全て巡ると達成感があるだろう。例え全て巡れなくても、寺院を巡っているので、精神的な落ち着きが得られることもあるだろう。
私のコンドーム自販機巡りには明確な終わりはない。ご利益もない。お遍路さんと比べるのがおこがましがったのかもしれないが、巡っていて得られるものは見つからない。なのに何故、7年も巡り続けているのか。

これは何度も書いているのだが、コンドーム自販機巡りは知らない住宅街を歩くことだ。見知らぬ住宅街を歩くのは楽しい。住民ではない私は、知らない人の家におじゃましている感じがある。おしゃれな街、都会らしい街にはいかないので、完全に気を抜いた街の素を見ているような感じがする。そこに私にとってお馴染みのコンドーム自販機がどんな風に佇んでいるのかを見に行く。昔からの知り合いが、その街にどんな風に馴染んでいるのかを見て、自販機の周りをウロウロしながら撮影し、街を去る。

なんでコンドーム自販機を巡っているのか。自販機巡りを始めた7年前、私はコンドーム自販機はいつか無くなると思い、私が無理なく行ける範囲でコンドーム自販機に会いに行こうと決めた。思いのほか長く続いてしまって、なんで巡っているのか分からなくなってしまったのだが、私は今も「会いに行く」を続けているだけなのだった。

だから仕様や歴史に関心はないし、会いに行く物だから、あげるよと言われてもいらない。7年も続けてしまったけど、コンドーム自販機論も持ってないし、美学もない。他人に語る様な事が全くない。
きっと「会いに行く」という単純な行動だから続けられたのかもしれない。こんな私に、会いに行ける場所がたくさんあって良かったと思う。街の表情や、自販機の周りの風景が様々だったから続けられた。とは言え、どの街も素敵とか思えたりもしないし、今日の自販機周りはつまらなかったなと思ったりもして、みんな違ってみんな良いとまでは、まだ思えたりはしない。だけど私まだまた、たくさんの自販機に会いに行くだろう。

photomemo:東京都内のタバコ店で撮影。ずらりと並ぶ飲料やタバコの自販機と共に並ぶコンドーム自販機。割と好きな感じの風景です。

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