さぬきうどん

今日もさぬきうどんを 〝食うかい〟?

機会があって、久しぶりにうどん県でうどんを食べ、あらためてそのおいしさにじーんときた。

強い陽射しの照りつける昼下がり。小さな町の、やや年季の入った製麺所に一歩足を踏み入れると、中はほぼ満席だ。汗とモルタルで汚れた作業着の若者、揃いの野球ユニフォームの中年グループ、よく日焼けした半袖の子どもとその祖父母らしきお年寄り。老若男女を問わず皆、粗末なビニールのクロスをかけたテーブルで、まるで呼吸をするぐらい自然にうどんをすすっている。店の一角のテレビからは高校野球のブラスバンドがふわふわと揺れるように流れてくる。

月並みな表現だが、まるで昭和から時が止まったかのよう。そんなシチュエーションからしてもう、このお店のうどんのおいしさを約束している。彼らに混じってうどんをすする。やばい。期待に違わずやっぱりうまい。やっぱりコレだ。コレコレ! 心の中で快哉を叫び、ガッツポーズをする。

さぬきうどんのおいしさを形容するとき、いつも言葉に詰まる。洗練とはまるで対極にありながら、決して粗野ではない。むしろ淡彩の水墨画のように、描写は緻密ではなくとも豊かで奥深く、そして圧倒的存在感を放つ。

材料は小麦粉、塩、出汁、醤油といたってシンプルにも関わらず、その味わいは決して平板ではなく立体的だ。透き通ったいりこだしはその控えめな見た目とは裏腹に芳醇で、濃厚でありながらどこまでもやさしい。噛むほどに歯をはね返そうとしてくるコシの強い麺は、小麦本来の香りと官能的な喉ごしで箸が止まらなくなる。冷やと熱いのと、それぞれ1杯ずつ食べ比べると、温度によっても出汁の風味や麺のコシが異なることに思わずうなる。

こんなおいしいものを毎日食べられるなんて、香川の人が羨ましい。

ところがそんな香川を代表する名物、さぬきうどんでも、いつ頃、そしてなぜ、どのようにこの土地に定着したのかはハッキリしていない。

一般にはだいたい以下のような要素が原因として挙げられている。

・温暖少雨な気候からコメの二毛作としての麦栽培に適していた
・同様の気候条件が塩づくりにも適していた
・だしの素となるイリコが豊富に獲れた

だがこれらは結果的にうどん作りに優位に働いた要素ではあろうとも、だからうどんを作ったのだ、という決定的要因とは考えにくい。

一説には、というか聞こえのいい伝説としては、讃岐地方出身の高僧、弘法大師こと空海が唐からうどん(の元となるもの)を持ち帰り、広めた、というものがある。

しかし歴史上の人物が何かを広めた、というまことしやかな言い伝えのだいたいはウソである。これはむしろ「そうだったらいいな」レベルの民間信仰だろう。まずうどんの誕生時期と空海が唐から帰った時期が合わない。きっと仏教勢力がある程度小麦作りやうどん伝来に重要なキーとなっていて、それを地元の超有名人、空海に背負わせたというところだろう。

とかく庶民の食事情をつぶさに記した記録というものはほとんど残っていないから、想像をたくましくするよりほかはない一面もある。

これほど有名で、しかも土地にしっかり根づいている食文化でさえ、なぜ現在のように発展したのかという背景や歴史はハッキリと一言で言えないというのは不思議に思われる方も多いかもしれない。しかしそれが名もなき庶民から生まれた文化の本質なのである。

でもまあ、いつ頃、なぜ、どのようにということがハッキリ言えなくても、さぬきうどんがあってよかったと思っている今日この頃です。こんなに単純で、それでいて繊細で、飽きがこず、ときおり無性に食べたくなるものを生み出した香川の人々に感謝。そりゃ地元に広まり根づくのも当然だと思う。だってこんなにおいしいもの。

暑い時期は冷やかけに限ります。冷たい方がコシも強くなり、イリコの風味は薄れるもののサッパリとして、食欲の落ちる時期でもズルズルいけちゃう。

来週末にうどん県再訪を予定していて、今からもう楽しみでしかたない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?