目玉焼き_北海道_

バック・トゥ・ザ・ベーシック

なるべくもとあった基本のカタチで料理を作りたい、というところがある。

土鍋でごはんを炊いている。さすがに毎日ダシまでとってはいないが、それでも鰹節は小分けのパックではなく、節を買ってきて、その都度削るようにしている。面倒くさくないのかと言われると、それほどでもない。生来、やりたがりな性分なのもある。大の大人なんだから、やれば何でもそれなりにできるはずだ、という気持ちが根底にある。もちろんプロにはなれないだろうけど。

関係ないけどクルマもミッション派である。ATに比べればたしかに操作は増えるが、そのぶん楽しいと思っている。プロセスを楽しむタイプだと思う。

そんなわけで、フライパンもフッ素だのテフロンだのの加工を施したものを買うのをやめた。黒皮鉄のものばかりにした。

これが存外楽しい。

もちろん気をつけることはいろいろあって、テフロンやフッ素加工の物のようには手抜きはさせてくれない。使う前は油が表面でチリチリ踊るぐらいじゅうぶんに熱しないと、いともやすやすと焦げつく。洗うのも洗剤を使ってはいけない。アクリルたわしでゴシゴシ洗って、乾かした後に油を数滴なじませておく。何かと儀式が必要なのである。

しかし一方で熱の伝わり方、食材の焼け方、煮え方に何というか、線の太さを感じる。焦げ目も遠慮なく黒々とつく。まさに車のミッションと同じで、ダイレクトに力(熱)が伝達されている感じがある。

今の道具は何でも、使い手である人間を甘やかして、どう下手に扱ってもなんとか結果が出せるように改良が加えられすぎているキライがある。けど思うのである。そこまで要りますかあ? って。

毎朝、黒皮鉄のフライパンで目玉焼きを焼いている。白身はふっくら、気味はとろーり半熟に焼き上げて、今日はうまく剥がれるかな、と端っこをめくる。熱いうちにガーッと洗って布巾で拭き、油をなじませて終了。

それが私の心和むモーニングルーティンです。


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