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【いいたいこと・いえないこと】

「彼女の写メ見せてよ」
大学の授業を控える昼休み。何気なく繰り広げられていく会話の中で、唐突に彼女の写メを見せるよう要求してくる友人。このように言われると僕は、内心戸惑ってしまう。面倒臭い。
というのも、彼女がどんな人かは別として、この手の写メを見せたいのか、それとも見せたくないかは友人の性格に依存するからだ。そしてあいにくにも、この友人は後者、つまり見せたくない側に属すために対応にひどく困っている。そんな具合だ。
「あはは、実はそれがね、写メ無いんだよね」
苦笑いをしながらも、やんわりと断ってみる。
「そんなはずないだろう。隠さなくていいじゃん」
口角を吊り上げ、ニヤッと意地悪な笑みを浮かべる友人。こういう時、決まって、隠し事も日本語も通用しない。
「俺もこの前見せたじゃんかよ」
得意げに話してくる友人。だから俺にも見る権利があるんだ、と言わんばかりに。
そうだ。彼は確かに、文字通り僕に彼女の写メを見せた。
しかし、それは今回のように要求があっての話ではない。僕が見たいという間も無く、可愛いだろ?と彼が自慢げに見せてきた。ただそれだけの話だ。
それに彼は普段から彼女との写メや動画をSNSで投稿している。彼女の写メを見せるという行為自体のハードルが僕とはまるで違う。そのハードルの高さの違いにも目をくれずに、自分だけ損をしていると感じているのだ。うん、面倒臭い。
「じゃあ俺も見せるからさ、見せろよな。盛れてるの探すわ。その間に準備してて」
とスマホをいじり始める友人。会話がまるで成り立っていない。
そもそもこの友人とやらは、僕がなぜ見せたくないのかをわかっていない。理由は単純、彼の性格にある。それを言いたい・・・・・・けど言えない。

彼はすぐ女の子を見た目で判断するし、同じように僕の彼女にもそうした判断を下す。元カノの時だってそうだ。あまり可愛く無いね、と。別れた後も、あまり可愛くなかったね、と。もちろん思想の自由が保証されている日本国だ。何を思い、どう判断を下そうと、それは自由だ。
しかし僕は、彼女の見た目にも中身にも魅力を感じ、好意を抱いている。そんな彼女に対して、彼が写メを見て可愛い、可愛く無いという二者択一的な判断の鉄槌を下し、それだけを伝えてくるのは、ただただ不愉快極まりない。
そして、見せたくない側に属す友人というのは、得てして見た目で判断したいだけの友人だ。その目的も明確だ。自分の彼女より可愛いかどうか。それだけだ。それが会話の中で散見できるから、見せたくないのだ。
ちらっとこっちを見て来たので、僕も一応スマホをいじって、写メを探しているふりをする。やっぱり面倒臭い。
もちろん彼女の写メを見せたい側の友人もいる。彼らだって可愛い、可愛く無いの鉄槌は内心下ろしているだろうし、可愛いと思った場合は惜しみなくそのように伝えてくる。
しかし、彼らがこの友人と決定的に違うのは、見た目も一要素でしか無いと考えているところだ。恋愛話になれば、どんな人かというところをすごく興味を持って聞いてくれる。またそもそも、異性や人を見た目だけで判断するような性格ではない。それに仮に可愛いと思えなくても、自分の好みのタイプと人のそれとは分けて考えることができる。つまりは、自分のタイプという同じ土俵に上げて、序列をつけるような言動はない。だからこそ、安心して見せたいと思える。
ひるがえって、この友人を含む、見せたくない派の人々はというと、今挙げたこととは逆のことをしてくれる。だから見せたくない。ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
「ほら」
と写メが見つかったのか、片手に持ったスマホを僕の目の前に差し出してくる友人。
「どうだ?」
と相変わらず得意げな表情をしている。可愛いだろ?という心の声が続いて聞こえてくるようだ。
写メには、居酒屋でビールを片手に微笑んでいる、友人の彼女が写っている。確かに可愛い。しかしそれだけだ。ここで可愛いとは言った結果はわかりきったものだ。彼が調子に乗るだけ。そんなわけで本心を言いたい気持ちと彼の承認欲求を満たす言葉を言いたくない気持ちが、メビウスの輪のように行ったり来たりしている。面倒臭い。
「優しそうだね」
とあえて可愛いと言わないことにした。
可愛いか可愛なくないが、彼にとって重要な判断基準である。それは人の彼女だけでなく、自分の彼女もまた然りだ。となれば、わざわざ可愛いと言わせたいのをわかっているのに、その欲を満たすのはあまりに馬鹿げている。悪い答えでもないはずだ。
「オッケー。見せたな。じゃあ次見せろよ」
唇を尖らせ、少し不満げに、そして命令調に言ってくる友人。
諦めて見せようかと思った矢先、教室に講師が入ってきた。この授業は幸か不幸か、私語もスマホも禁物だ。
「先生来ちゃったね、また後で」
と、隣の席の彼から視線を外し、教壇の方に向き直る僕。諦めたのだろう、なにか言いたそうだった友人もそれ以上問うてくることはなくなった。
授業が始まった。

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