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【わたしと義母と世間と】

「そろそろ子供が欲しいもんだね〜」
つまらなそうにぼやく姑。シンクに溜まっていた食器を一緒に洗っている時のことだ。
私は手を止めずに、「そろそろってどう言う意味ですか?」と聞いた。この言葉に怒りだとか嫌悪感だとか、特筆するような感情は込めていない。昔から単純に気になることだから聞いた。それより上も下もない。
ばつが悪そうに、険しい表情を見せる姑。言葉に詰まっている。彼女はいつだってそうだ。自分の言いたい事は遠回しに言うだけ言う。だけどその意味するところについて尋ねると、いつもきまりの悪そうな顔をする。思いつきで喋っているのだろうか、正直こういうところは本当苦手だ。
「Aちゃんも今年で、三〇歳で子供を産んでもいい歳じゃない?それを聞きたいのよ」
言いにくそうに、たじたじと話す姑。少し言い方きつくなっちゃったかな、と思えば今度は、水を切るには仰々しい程、皿を上下に激しく振る彼女。私は不機嫌です、という意思表示か。こうした、メタメッセージみたいなものが多いのも姑の苦手なところだ。しかし、真っ向から何か気に触る事言いました?なんて言えば、今度は得意げになって、心当たりあるの?と聞いてくるのはわかっている。だからあえて触れることはしない。淡々と会話を続けるの得策だ。
「そうですね、今のところ産むつもりはないですね。」
ここは断言する。実際、旦那とも決めていることだ。私は彼のことが好きでずっと一緒にいたいと思って結婚したけど、出産や育児となれば別問題だ。分けて考えてほしい。
「でも、結婚するのは子供を意識してのことでしょう?御両親への恩返ししたいという気持ちもまさかないわけじゃないでしょう?孫を見せて喜ばせたいとか思わないの?」
同時にいくつもの疑問符を投げかけてくる姑。洗い物を洗う手は完全に止まっている。
やはり分けて考えるのが苦手な人だな、と思わずため息を呟きそうになった。こんな態度を見せたら激昂するのは目に見えている。危ない、危ない。しかし、本来結婚と出産・育児は別の話だし、両親への恩返しと孫を見せることもイコールではない。この人は人生のどこの地点で、この異なるもの同士を結びつけるようになったのだろう。この人とは言ったが、姑だけの話ではない。こうした考えをするのは同級生のBちゃんにしても、Cちゃんにしても同じだ。みんな、少なくとも私の周りは、当たり前のように結婚の延長線上には出産や子育てがあると考えている。就職だって、転職だって育児を考慮に入れて考え、選択を行っている。そしてそれは昔から単純な疑問だった。
「義母さんはなんで結婚の延長線上に出産・子育てが必要だと考えているんですか?また人生のどの地点でそうした考えを持つようになったんですか?」
気になってつい、疑問を言葉にしてしまった。日々の生活の中で、結婚や育児について聞かれることは少なくない。別にそれをセクハラだとも思わない。友人と話す会話の多くは近況報告で、近況報告というものは大きく、仕事の話と恋愛の話に分けられる。そして恋愛ともなれば結婚や育児をテーマに盛り込んだ会話はあちこちで飛び交う。結婚はいつ?子供は?と。そうした結婚も子育てもする前提で展開される会話、考えのルーツがどこにあるのか、それは純粋な疑問だった。
「なぜってそんな細かいことはわからないわ。ただ、大学に行く頃にはそれが当たり前だと思っていたし、そうする事で夫とお互いの両親も喜ばせられると考えていたからよ。あなたも御両親が大切ならそうしなさい」
不機嫌そうな面持ちでぴしゃりと言い放ち、その場を後にする姑。洗い物はまだ終わっていない。
それにしても、さっきと同じような話だ。まるで答えになっていない。両親を喜ばせることが目的であれば他に喜ばせる手段はなかったのか。そんなことはないはず。世の中には子供を作らない夫婦だってごまんと居る。彼ら彼女らも同じ様に結婚後も両親を喜ばせ、幸せを分かち合っているはずだ。
思わず、ため息をつきそうになり、息を飲む。なぜする理由もロクにわかっていないものをただ自分が経験した、それが正しいと皆信じているという理由だけで押し付けられなければいけないのか。
正直、子供を産むという行為は、感情をいっさい交えない、経済的観点のみで言えば多額の借金背負う事とほとんど同義だ。その選択をなぜ、周りもやっている、そろそろするべきではないのか?そんなくだらない誘い文句で強いられなければいけないのか。子供がいなければ、子育て家庭より早い段階でリタイアして二人で世界旅行もできるかもしれないし、別荘だって変えるかもしれない。子供を作らないことによって得られるメリット、機会利益や他の選択肢について吟味する様な会話はこれまであまりなかった。皆が皆おしなべて子宝という言葉に唆されているのではないか。そう疑うことすらあった。まあいいや。私は私のスタンスを貫けばいいか。
洗い物を終え、手を洗っていると、今度は後ろに気配を感じた。振り返ると、そこには姑がいた。その表情は憎しみに満ちていて、真正面から私を睨み据えていた。

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