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【弱いひと・弱いこころ】

「そういえば、1組のC君ってイケメンだよね。芸能人とかにいそう」
同じ高校の同級生C君を褒めるBちゃん。そうだね、かっこいいね、とやんわり返す。
誰がかっこいいとか可愛いとかそういう話がBちゃんはとにかく好きだ。一緒にいるときは、常に誰かの話をしていて、その誰かを評価したがる。高評価だけならまだいい。聞いていて、不愉快に思うところはひとつもない。でもそれだけじゃない。だから帰り道が一緒の彼女と、偶然鉢合わせになって嫌な予感しかしないのだ。

「うんうん。だよねえ。逆にD君とかは全然格好良くないのに、おしゃれしてて頑張っているよね。この前インスタ見てびっくりした。」
始まった。Bちゃんによる、低評価コメント。そして、この低評価コメントは、もはやBちゃんの御家芸だ。誰しも自分が得意であると思うものは、披露したがる。Bちゃんも例外ではない。
頑張っているよね、という言葉の皮肉さ加減に辟易としてしまう。どうしてこうも気持ちのよくない言葉の使い方ができるのだろう。本来頑張っているという言葉は、もっとポジティブな文脈で使われるものなはずなのに。
だけどそう伝えても無駄だとも思う。人の考え方を変えるのは難しい事だし、私も変えるだけの動機付けがない。あまりに聞き苦しくなれば、離れればいいだけだから。一緒にいて楽しくない人間関係を続けていても、楽しくない時間が続くだけ。それだけならまだいい。最悪の場合、自分が楽しくない人間に変わり果ててしまう。
「ファッションとか別に自由じゃない?人が何着ようとも。インスタなんて見たい人が見てればいいし。いつも他人を格好良くないとかダサいとか評価するの本当好きだよね」
今回はいつも話すように同調する事なく、さらりと交わし、思っていた事を伝えた。今回はそれだけの理由があった。自分でも語気が強くなっているのがわかる。はたから見れば怒っているように感じるだろう。でも同じ船に乗ってはいけない。こちらが、ただ曖昧にうなずいたりすれば、ヒートアップして悪口を爆発させるだけ。後悔なんてしていない。
「え、そうだけど・・・・・・」
言い返す言葉は見当たらないのかもしれない。言葉に詰まるBちゃん。顔をしかめて不満をあらわにしている。
「あたしのことも影で、色々言っているのも知ってるよ。『運動神経悪くて、笑っちゃった』とか『女の子なのに背が高くて可愛げがない』とか。こっちが黙って聞いてるだけだと思うなよ」
ようやく言えた。理由というのは、前回会ってから今日会うまでにわたしはわたしの悪口を聞いてしまったのだ。そうなってしまった以上、ただ相手の愚痴や悪口を聞く関係、そんな関係にはもう戻ることはできない。
「・・・・・・」
今度は返す言葉もなく、愕然としているBちゃん。心当たりがあるのだろう。目を見開いて、ただ茫然と頷いている。謝ることもしない。
また悪口をBちゃんは吹聴すると思う。けど、ずっと付き合ってもいたくない。五年十年付き合ったところで、おそらく彼女は変わらないだろう。むしろ年齢を重ねて、自分への、あるいは他人への悪口が巧妙になるだけだ。大人のいじめがそうであるように。
だからいいんだ。さよなら、Bちゃん。
「じゃあね」
振り返ることもせずに、あたしは走ることにした、もっと強くなろう。
彼女の言葉なんか気にならないくらいに。

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