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【Aの角度、そしてBの角度】

「Bちゃんはいつも本読んでて、真面目でえらいよね。」
「え?」とわたしの方に向き直り、目をぱちくりさせるBちゃん。教室で、黙々と本を読んでいるところにいきなり話しかけたんだ。無理もないよね。でもいつも見ていて思っていたことだ。私は本を長く読み続けるほどの集中力がないから、羨ましい。
「そんなことないよ」と微笑みながら、謙遜する。決して驕らない。謙虚なところも彼女の魅力だ。
「そんなことあるよ。わたしなんて漢字苦手で、読み進められないもん。もう中学生だと言うのにやばいよね。それにじっとしているの苦手で、読み疲れちゃうしさ。だからちゃんと本読んでえらいなあって思う」
笑顔でちゃんと伝えた。
「そうかなあ」と少し困った様に、しかし同時に嬉しそうにはにかむB。
Bちゃんはおとなしく、いつも本を読んでいる真面目な子。これもいつも思うことだけど、知的な印象を与える、いかにも度の強そうな銀縁メガネも、後ろにひとつ縛りした長い髪も本当によく似合っている。私にはできないファッションだ。
「そうだよ」と本に目を戻し、そっとうなずくBちゃん。そんなに本が面白いのかなあ。
話は変わるけど、わたしは、他人の良いところを見つけたらできるだけ、それを伝える様にしている。それはお母さんにそうしなさい、と日々言われているからだ。お母さんがなぜそんな事を言うのかというと、「良いところを見つける様努力していれば、多少そりが合わない子がでても、相手を好きになれる。そしたら、相手もあなたの良いところを見つけて、最後はきっと仲良くなれる」からだとのこと。だから私も自分が気持ちよく過ごすためにもできるだけクラスメイトは褒めるようにしている。Bちゃんもその活動の一環だ。
「Aちゃん、こっちおいで〜」
いつも仲良くしているCちゃんが手招きして呼んでくれている。嬉しい。手招きに応じ、わたしも彼女の方へ行くことにした。
「じゃあBちゃんまたね♫」
今日も楽しい一日が始まる予感。
                    *
「Bちゃんはいつも本読んでて、真面目でえらいよね。」
屈託のない笑顔で、私に話しかけてくるA。屈託の無いとは我ながらよく言ったものだが、私はAが大嫌いだ。理由は単純明快。適当に褒めるところだ。今だってそうだ。単に本を読んでいるだけなのに、毎回真面目とかえらいと言う。この、考えのないお世辞が凄く浅はかで嫌いだ。彼女は、私が読んでいる本の内容などつゆとも知らないだろう。それなのに、本を読んでいるという行為そのものだけを見て、勝手に凄いとか真面目とか決めつけている。本を読む行為そのものは私じゃなくたって、誰だってできるはずだ。この浅ましいAでも。
「そんなことないよ」と社交辞令程度に笑みを返し、すぐに本に向き直う。これ以上話しかけて欲しくない、そんなサインを示した。
「そんなことあるよ。わたしなんて漢字苦手で、読み進められないもん。もう中学生だと言うのにやばいよね。それにじっとしているの苦手で、読み疲れちゃうしさ。だからちゃんと本読んでえらいなあって思う」
と食い気味で、再びお世辞の口上を述べるA。これでは本が読めてえらいのか、漢字をちゃんと勉強していて読めるのがえらいのかわからない。支離滅裂なのは平常運転だが、何を言っているのかわからないのは疲れる。はあ。
「そうかなあ」
もう一度、はっきり相手に伝わる様に苦笑いしてみる。微笑み返すA。やはり鈍感なのか、バカなのかこちらの表情を読み取ろうともしない。
そもそも私は、こんな教室の隅っこで好きで本を読んでいるわけじゃない。みんなの輪に入れないから、こうして読書してやり過ごしているだけだ。それに対して、真面目とかえらいといったお世辞は見当違い甚だしい。そっとしておいてくれ、そう言えるならそう伝えたい。
「そうだよ」とBの顔をみることもなく、本に集中することにした。
「Aちゃん、こっちおいで〜」
Aが同じクラスメイトCに呼ばれている。普通だったら、ここで、三人でやりとりをするのか。ハブられているというよりは、蚊帳の外だ。やっぱり悔しい。
Cに応じ、手を振るA。本日二度目だけれど、やはり屈託の無い笑顔を、例に倣って振りまいている。
「じゃあBちゃんまたね♫」
朝から最悪の気分だ。

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