仕立てられる「差別者たち」

 仕立てられた「差別者」たち

大阪が好きやねんさん @oosakahaoosaka

のツィート
「発言を応援してくれる支援者もいる」

どこに? 

「発言を応援してくれる支援者もいる」 杉田水脈氏の一問一答 | 毎日新聞」
に対して

 本当に「どこに?」と疑います。
 しかし同時に確かに「いる」から二重に恐ろしいのです。
 この人も会って話すと芯から悪い人だとは思えません。

 逆にその支援者の期待に応えなければと…。
 何が差別かの分別を鈍らせ差別と攻撃の先兵に仕立てられたようなところがあるような気がします。

このように言うとあなたは、この人を擁護するのですかと言われる方もおられます。この人の差別発言には、一片の擁護する点がありません。差別を憎み差別をなくすことへの取り組み、そして差別により傷ついた方々の心を癒す活動にも変わりはありません。
 罪を憎んで人を憎まず。
「芯から悪い人ではない。」と言うと、それはあなたにだから見せている顔で本当の顔は全然、違いますという人もいます。
 昨日もある友人に敵陣営の方を褒めると「それは代議士にだからです。秘書さんに聞いてみると良い。どんな扱われ方をしているか?」とも言われました。確かに甘いと反省しなければなりません。

 ただ申し上げたいのは、人を憎むところで止まっていたのでは、差別はなくならないということです。
 差別をする人がどんな現実を見ているか?認知の偏りや歪みの原因は?
もっと言うと、その人が差別という攻撃に出る理由は?
 ネトサポについても与野党の議員と議論したことがありました。過激な言動、汚い言葉、攻撃性…。人が抱く恐れやルサンチマン、嫉妬など整理しきれないものに火を付けて差別の先兵というより攻撃の象徴に仕立て上げる。負の連鎖の恐ろしさについても。
 高学歴・高級官僚・世襲の鼻持ちならない議員、利権に塗れた無法な議員…そしてそれらの外側で他者への攻撃に使われる議員。
「もともと使い捨て、それも攻撃用なのですから攻撃を止めたら存在価値もないのですよ。」と言い放った批評家がいました。
 暴力、差別の連鎖。その加害者が同時に別の暴力や差別から被害を受けている現実とも向き合わなければなりません。
#反差別
#差別を許さない

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