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コロナ忘備録。

「この御恩は一生忘れません。」

小学生の頃、夕方にテレビをつけるとやっている時代劇ドラマ「水戸黄門シリーズ」が大好きだった。毎回ドラマの終盤で、水戸黄門に助けられた人々が、涙ながらにこのセリフを口にする。

実際に人生の中で、この言葉を口にする機会は、どれくらいあるだろう。

ひと月前の、ある夜のこと。
「この御恩は一生忘れません。」
私はまさにこう呟きながら、目を閉じ、泥のように眠った。
長い長い1日だった。

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新型コロナウイルスの影響で、立て続けにヨーロッパ各国でロックダウンがはじまる混沌の最中、私はフランスにいた。

非常事態宣言、国境封鎖、外出禁止令、商店・レストラン営業停止、公共交通機関の大幅減少。たった1日にして、街ががらり、様変わりした。うそみたいだった。

つい昨日まで、美しい湖の周りでは、多くの人がのんびりピクニックしていたし、ディナーを食べた絶品チーズフォンデュのお店は、空席が見あたらないほどだった。ロックダウン直前の最後の外食晩餐になるなんて、私を含め、お店にいた誰一人も想像していなかっただろう。

今まで経験したことのない、異様な緊張感と不安が、街を包み込んでいた。

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次の日から南フランスに移動してホームステイする予定だったけれど、予約していたバスは運休、鉄道もほぼ動いていなかった。この先なんとか移動できたとしても、外出禁止令が出された今、政府の認める外出理由に当てはまらないと判断されたら、処罰されるかもしれない。

心が落ち着く暇がない中、自分の身を守り、ある程度の期間安心して生活できる環境を早急に確保する必要があった。

冷静さと柔軟な対応力、スピード感のある決断力、そしてポジティブさを試されているかのような時間だった。

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色んな状況を踏まえた結果、2月まで滞在していたポルトガルの田舎町に戻る決断をし、次の日の早朝にポルトガルに向けて出発した。

リヨン空港行きの電車は、その日は唯一、朝5時台の1本だけ運行されることになっていた。

日が昇る前の、真っ暗で、静まり返った朝4時。
こんな時間に起きるのは、いつぶりだろうか。

心優しい友人が、私の大量の荷物の半分を担ぎ、駅まで片道徒歩1時間の真っ暗な道のりを一緒に歩いてくれた。

フランス語の分からない私に代わって情報収集をしてくれた。
少しでも心が落ち着くようにと、和食まで用意してくれた。

お互いの不安を打ち消すように、共に過ごした中学・高校時代の思い出話で、お腹を抱えて笑い、深夜まで語った。

こんな時だからこそ、心許せる友の存在に、どれだけ助けられたことか。

お互い夏には帰国予定なので、またすぐ日本であえるのだけれど。
別れ際、気を緩めたら涙がこぼれてしまいそうだった私は、
「本当に、ありがとう。体に気をつけてね。」と短く笑って、
電車のホームに向かった。

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無事電車に乗り込み、何度か乗り換えした後、5時間半かけて空港に到着。
7割以上のフライトがキャンセルになっているようだった。

フライトが飛ばず、空港で一晩過ごした様子の人々、
工事現場で使うようなごっついマスクをしている人、
マスクの代わりにスキー/スノボ用のネック・フェイスウォーマーをしている人もいる。

非常時でも、パン屋さんは営業中。
おいしいパンがお腹と心を満たしてくれる。ありがとう、パン屋さん。

幸運にも私が予約していたリスボン行きは、無事運航されることになった。

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夜18:30、無事ポルトガルに入国。
検温されるかな?色々聞かれるのかな?1時間後に乗る予定のバスに間に合うかな?と心配していたけれど、びっくりするくらい、すんなりと入国できて、拍子抜けしたくらいだ。

(この数時間後に、今度はポルトガル政府が緊急事態宣言を発令。そんなギリギリのタイミングでの入国だった。)

空港の地下鉄駅に移動すると、なんとこの日、リスボン市内の地下鉄が無料開放されていた。とはいえ、こんな状況だから、車内はガラガラだ。
スムーズにバスターミナルまで移動でき、最終バスにも無事間に合った。

長距離バスを乗り継ぎ、田舎町Tabuaに到着。夜22:30を過ぎていた。
ひっそり静まりかえった停留所で、見慣れたホストファミリーの顔を見たとき、心の底の底からホッとした。

そこからのことは、あまりよく覚えていない。

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その晩、大好きな湯舟に浸かったら、ぴんと張っていたいた糸が切れて、ふにゃふにゃになった私は、シアワセのようなものを噛み締めた。

私は、人に支えられて生きている。

おおげさなようだけれど、
当たり前のようだけれど、
そう実感せずにはいられなかった。

フランスにいる友人に、
ポルトガルのホストファミリーに、
電車の運転手さんに、
パン屋さんに、
空港の職員さんに、
飛行機の操縦士・乗務員・整備さんに、
地下鉄職員さんに、
バスの運転手さんに、
日本で心配してくれていた家族や友人。

たくさんの人のおかげで、安心して過ごせる場所に来られた。
誰にとっても大変な状況にも関わらず、人を思いやり心を配れる優しい人々に出会った。

ポルトガルに戻りたいという私を、リスクを負ってでも受け入れてくれているホストファミリーの懐の広さを知った。

「この御恩は忘れません。」と、噛み締めた。

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その日から、美しいこの場所で、自主隔離生活が始まった。

朝起きて、窓をあけると、澄んだ空気と共に、のびのびと歌う鳥たちの声が聴こえる。そんな何でもないようなことが、嬉しいと思った。

のんびり庭仕事しながら土に触れていると、心と体が癒されていくのが、自分の五感で感じられた。

家の中と庭を往復する日々は、穏やかで、晴れやかだ。

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自主隔離の2週間を終えた翌朝、朝ごはんに起きた私に、
「本当は、ここに帰ってきた日にしてあげたかったけれど。」
と言いながら、大きなハグをしてくれたホストファミリー。

そしてその日の夕方、雨上がりの空に、大きな二重の虹。
そしてその数時間後には、美しい夕焼け空を見た。

“こんな幸せを、積み重ねていけたら、きっと大丈夫。”
ふと、静かに、そう確信した。

♢ ♢ ♢ ♢ ♢

あのバタバタから約1ヵ月。
すべての人の生活をがらりと変えた、新型コロナウイルス。
大きく何かが変わろうとしている時代に生きているなと、感じる日々。

貴重な経験の記憶が薄まる前に、日々の出来事や感じていることを、文章に残しておこうと思います◎


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