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サツマイモの苦い思い出

まだ私が幼少期の頃の話だ
今日もまた父の事を書こうと思う
躁鬱病の荒波の真っ最中の父の事を

私が幼稚園に通っている頃に発病した
突然家に帰って来なくなった
何の前触れもなかった

失踪したかと思えばどこで作ったのか分からない借金を抱えて帰ってきた
父がいない一ケ月間をどうゆうことかあまり疑問に思わなかった

周りの大人に聞いたら「仕事よ」と言われるだけだった
それもそのはず、大人たちも父の行方が分からなかったのだから
家にも帰ってこれないほどの仕事なんだ…と話していたと思う

芋ほりのずるい親子

多分、これは秋のことだった
幼稚園のさつまいも掘りと記憶が結びついている

通称芋ほり、みんなで育てたさつまいも畑を掘り起こすイベントだ
「葉っぱが大きくて太い苗の下にはたくさん埋まっている」との
母のアドバイスのもと、芋掘りの数日前から畑を目ざとく観察していた
イベント開始の合図と共に狙いを付けていた苗に一目散に走っていった

幼稚園の先生もその苗の下には大きなイモが埋まっていることが分かっていた

だけど、その苗の権利をある男の子に譲るように先生から言われた
理由は「春先に園庭の遊具から落ち、腕を骨折してから幼稚園に通うことが出来なかった。イベントくらいは楽しませてあげたいから」だった。

こちらにだって譲りたくない理由があった
父に大きなイモを持って帰りたい
家に父が帰ってこないことを口外しないようにとの言いつけを守った
大黒柱がいないこちらの方がよっぽど深刻だ
だけど幼稚園児にだって言えない事情がある

思えばあの頃から理不尽の連続だ

仕方なく2番目に狙いを付けていた苗にしぶしぶ移動した
その男の子に譲った苗からは予想通りたくさん大きなイモが掘り出されて無邪気に歓声をあげていた

大人から与えられた苗を掘り返して楽しむ声を恨めしく思った
骨折が完治していない男の子には母親が同伴だった
親子の楽しそうな様子を見て無性に腹が立った

夏前から幼稚園に登園するたびに一生懸命に水をあげて育てた
実際に一番大変な畑の世話は用務員さんがみていたにせよ、
イベントの時だけ来て美味しいところだけを掻っ攫っていく親子を見て単純に「ずるい」と思った

骨折の治療は大変だ
同い年の子がそんな災難に遭っているのに喜んで苗を譲る心はまだ無かった

その後その男の子は同じ小学校に入学したけれど、休みがちになりそのうち不登校になった

芋ほりの一件があってから無条件に大人に守られるその男の子が嫌いだった。ざまあみろと私は性格悪く思っていた。

芽が出たサツマイモ

二番手の苗から取れたすこし小ぶりなサツマイモを数個家に持って帰った

「お父さんが仕事から帰ってきたら一緒に食べる」といって
その数個の中から一番大きなサツマイモを放さなかった

ダメになってしまう前に食べてしまおうという祖母から守り
サツマイモを抱えて待っていた

芽が出て変色したころに父が帰ってこないことが分かった
もう食べれないことを知って自宅に植えた
芽が出ているものを捨てるのは忍びなかった

土に植えれば何とかなると思った

植えた場所は日陰の植え込みだった
だんだんと寒くなっていく季節だということもあって
しおれて枯れていった
なんともならないことがある

入院治療中の父

今思えばあれは外泊か外出だったのだろう
時々、家に父がいるようになった

数時間家にいたと思えばしんどそうに横になっていた
治療のはじめの頃は薬の効き具合が安定しない

久しぶりに会えて嬉しかったのもあってあれこれと話しかける
そんな私を嗜めるように母が「疲れているから寝かせてあげて」と言っていた

そして夕方前に母に車に乗せられてどこかへ行っていた
おそらく病院へ戻っていったのだろう

数週間で泊まりで帰ってくるようになった
感情が安定せず突然母に怒鳴ったりする父の事を怖がるようになった

だけど怖いとすら言えない雰囲気があった
本来の父ではない、だけど病気のことが分かる年齢ではなかった
触れてはいけない
だけど自分の不安や期待は消せない
そんなものはあっさりと押しつぶされていった

そんな様子は子供たちにいい影響がないと思ったのだろう
母に父の療養のためにと父を父の実家へ帰らせた

そんな母は入院中から3時間労働パート主婦からフルタイム雇用を越えて24時間働けますか状態になった

家にほとんどいない
父の作った借金返済というよりは自宅にいたくないから働く状態になっているような気がしていた
家庭に帰れば現実を突きつけられるから
本来送りたかった理想の生活を送れない

のんびりとした子育てをするために独身時代に心血を注いだ教職を手放した
なのにじっくりと子どもに向き合う時間のとれない
そんな親子関係から目を背けたかったのだと思う

授業参観や運動会はなんとか時間を作ってきてくれるものの
母親らしい役割をほとんど果たせていなかった
教室の後ろでただ突っ立ているだけで威圧感を与える母親は珍しい

シンプルな話、キャパオーバーだった

たまに顔をあわせては祖母から私の普段の悪行を伝えられて、子どもたちに対しての叱り役にもなっていた

仕事の疲れも相まってその叱り方は常軌を逸していたと思う
母は物を投げて自分の怒りを表現していた

勢い余って大切にしていたぬいぐるみの尻尾を千切られた
たまたま手元にあった鉛筆を真ん中から折られた
ランドセルだって壁に投げつけた

どれも買ったばかりの頃は母は朗らかに笑って
「大事にしてね」と言ったものばかりだ

母が怒っている時は大切にしているものを隠すことを覚えた
ゲームボーイやたまごっちは死守した

母自身が怒りをコントロール出来ていない様子だった

夫は病気
子どもは反抗期に片足を突っ込んだ状態
慣れない仕事では年下のアルバイトに頭を下げて
かつて取得した資格とは全く関係のない職種で一からのスタート
たまに帰る自宅では悪気のない祖母から子どもたちの小言を言われる

家庭における母のストレスは最高潮だったと思う

父が父の実家に帰ってからは少し母の様子も変わっていった
目に見えて突然キレる回数が減った
子どもに対して少し優しくなった
ひとつ心の荷物を下ろしたのだろう

だけど離婚はしなかった
子どものことを考えているから…と何度も話していた
だけど当時は疑問の連続だった

母は母自身の幸せのために動いてもよかったのにとすら思っていた
父から離れれば少し楽そうだったのに
絶対に離婚という選択肢を選ばなかった
もはや意地のようだった

一緒に暮らしていなくても夫婦は夫婦だ
長い年月を経て今はそれなりに仲良く過ごせているのだから
母の選んだ選択は子ども時代には分からなった正しさがあった
母には母の、父には父の、お互いにしか分からない良さがある

思えばこの頃はまだ治療と病気の波の第一波だった
これは幼稚園時代から小学校中学年くらいの話。

続きはまた今度。

無印良品のポチ菓子で書く気力を養っています。 お気に入りはブールドネージュです。