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神様に課金する

昨日の夕方に神社へ参拝した。お宮参りで祈祷してもらったパワースポットだ。夕食に必要な買い物をしたあとに、鯖を片手に参拝する。

普段あまり人がいないと油断した、4連休の初日だったからか観光客のカップルもいた。せめて買い出し前に行けば良かったと少し後悔する。

昨日の出来事(息子が怪我して救急車)

https://note.com/harapeko30/n/nf927336790d5

何かあった時には参拝したくなる。
大体気が弱ってる時にすがりたくなる。

まずは神様に軽傷で済んだことを報告する。少しばかりのお賽銭を納めさせてもらい、そしてお礼を言う。手を合わせて目を閉じて心の中で何度もお礼を言う。

ありがとうございます。
…ありがとうございます。
……ありがとうございます。

何度も心の中で唱えた。
子どもの怪我は親をおかしくさせる。

少し広い境内は砂利が敷かれている。歩くたびにジャリジャリと心地よい音がする。

そういえば妊娠中から安産祈願に訪れていた。毎日のように参拝し運動がてら境内を何周も歩いていた。

ここまで熱心に通った理由は他にあった。
ポケモンGOのポケストがちょうどいい間隔で生えている。
ゆっくりと散歩するスピードで無限にアイテムが回収できた。時折止まっては携帯をいじる妊婦だった。

そんな下心込みで境内をウロウロしていた。今思うと本当にバチが当たりそうだ。神様の前でゲームに夢中だなんて失礼じゃないか。

しかも帰り際には鳥居がジムになっていて、他のプレイヤーが置いたポケモンをボコボコに倒していた。ばくれつパンチだった。
そしてマーキングするように自分のポケモンを配置して帰っていた。神社で殺生してはいけない。

しかし昨日ばかりは携帯を取り出して、境内でアイテムを集めようとは思わなかった。とてもじゃないけどそんな気になれなかった。

当たり前だ、子どもが自分の見ている前で怪我をして痛い思いをした。

早く帰って子どもの顔を見よう。鯖を片手にそう思った。

一周だけあの頃のように境内を歩いた。木が茂っていて昼間でも薄暗い。木の近くに光るものがあった。監視カメラだった。古くて由緒正しい神社にも監視社会の波が押し寄せていた。

ここでハッとした、毎日のように境内をウロウロしていたあの奇行もバッチリ宮司に見られていたのかと思うと急に恥ずかしくなった。

社務所でお守りを買って帰ろうと無性にそう思った。さっき入り口で見かけたカップルが携帯で写真を撮りあっていた。

女の子の方が記念にお守り買って行こうとはしゃいでいる。多分昔は私もそうだった。神にすがりたくなるような切実な願いなんてなかった。

パワースポット巡りと称して御朱印やお守りを集めては喜んでいた。

今は氏神様以外に参拝しようと思わなくなった。
神を信じているなんて傍目から見たらどう写るだろう。こんなこと夫にも言えない。

何となく信心するということにヤバいイメージがあることは切っても切れない関係にある。


だけど私はあの神社にお礼をいい、験をかつぐ。





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