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授乳中の食欲を舐めるな

もう4年近く前の話になる。
私は諸事情あって実家へは里帰りが出来なかった。
両親が現役で共働きの上、介護度4のばぁちゃんに産褥期の私と生まれたばかりの赤子を受け入れる余裕なんてなかった。

一番に困ったのは炊事事情だった。
近所に住んでいる姑が夕食(おかず)だけ作ってそれを夫が取りに行ってくれることになった。きちんと材料費を渡して丁寧にお願いした。

私は姑に期待しすぎたのかもしれない。姑が作ってくれたのはどう見ても1人前の食事だった。圧倒的に足りなかったのだ。私は白米に卵かけご飯をかけて食べ、少ないおかずを夫婦で分け合い、おかわりで白米にふりかけをかけて食べた。授乳中の食欲を舐めてはいけない。

とにかくとにかく腹が減る。昼飯もご飯を炊き卵かけご飯に海苔を散らしたり、胡麻をかけたりとにかく米を食べていた。その甲斐あってか恐ろしいほど母乳がでた。右乳を吸わせれば左乳からも母乳が噴水のように噴出した。

本来、産褥期の女(産後1か月くらい)の人間は湯舟につかることも許されないくらい抵抗力が落ちていると言われている。床上げ前は出来るだけ寝ていること、交通事故に遭ったと同じくらいのダメージを受けているのだ。
出産した産院でもそう習って帰ってきた。

それがとにかく息子は夜泣きがひどかった。狭い家では夫を起こしてしまう。私は息子が「ふぃぇ…」と大泣きすることを察知し、横抱きができる抱っこ紐を装着し、深夜にも関わらず携帯と小銭入れだけをポケットに入れ、出来るだけ厚着して散歩に出ていた。最寄りのコンビニではライブの音量の如く泣く息子、深夜にいる店員さんは意外にもおばちゃんが多かった。コーヒーマシンが挽きたてを作ってくれている間、どうちたのかな?泣きたい気分なのかな?とあやしてくれた。騒いで申し訳ないと店を後にする。

コーヒーは1日1杯くらいなら母乳にカフェインが影響しないと知ってから、コンビニでコーヒーとスティックパンを買った。息子にぶっかけないように細心の注意をはらって、コーヒー片手に近所を歩いた。余談だがポケモンGOをしていたのでアイテムもたくさん集まった。

真っ暗な公園のベンチに座り、スティックパンを餓鬼のように食べた。
真冬になんでこんなことしなければいけないのだろう、もう堪らなかった。食事が満足にいかないと心が荒む。妖怪スティックパン。

そして公園の近くに交番があり赤子の泣き声のせいで何度も職質を受けた。
「いやいやいやいや、怪しいもんではないです、ただ夫が起きないように外に出てるだけで…」とスティックパンを食べながら説明する。せめて食べる手をとめろ。ポケットの中も見せるし、免許証も見せた。

警察官は眉毛を極限のハの字型にして心底同情してくれた「お母さんアンタねぇ…こんっな寒い時期にねぇ、赤ちゃんと深夜でふらふらしてちゃダメよ。新生児じゃないの?この子。近いから交番おいで。ストーブ当たっていき、交番ならどんだけ泣いても大丈夫だから、泣き止むまでおったらええで」と助けてくれた。


そして夫が休みの日に息子を見せにいくついでに姑に追加でお金を渡して量を増やしてほしいと頼んだ。
姑の答えはまさかのNOだった。フライパンが小さいからこれ以上の量は無理だと断られてしまった。しかも食事内容に文句があると捉えられて産後2週間で夕食は打ち切られた。渡したお金半分返せ。今でもむかつく。それがのちに包丁を振りまわす夫婦喧嘩の要因にもなった出来事でもある。

骨盤が安定せず満足に買い物へ行けないので、通販型のスーパーを調べはじめた。あるにはあるが配達圏外だった。くっそ~!そのスーパーにはもう二度と行かねぇと誓った。

唯一使えたのは、毎日メニューが決められていて材料が届くタイプの配達サービスだった。値段もお手頃だったしそれに決めた。
大人3人前申し込みをし、次の日の昼食の問題も解決した。

ただ、食べたくもないものを作るストレスは半端なかった。肉が食べたいのに魚。私はおしゃれな野菜よりも塩をぶっかけがキュウリをベランダで一本丸かじりしたい。
3か月も経ったらカレーに入れれる素材はすべてまとめておき、金曜日にまとめて鍋にぶち込んで、夫にまとめ買いしてきてもらっていたカレールーをぶち込んだ。カレーはすべてを受け入れてくれた。まとめ買いでは各種様々な冷凍食品を購入してある程度、昼食事情は改善された。冷食最高、食品会社万歳。

子連れで買い物に行けるようになるまでの辛抱だと思った。
そんな矢先にクルーズ船のニュースが流れ、コロナが始まってしまった。
3日もすればどこに行ってもマスクが買えなくなった。

あの時、ハッとなり過去に豚インフルエンザの時(大学生だった)のドラッグストアの状況を思い出し、危険を真っ先に察知し近所のドラッグストアで買えるだけマスクを買い占め、消毒液も一緒に購入した。夫が帰ってくる前に兄夫妻の元へをそれを送った。姪っ子が退屈しないように塗り絵や子供用のマスクには可愛いシールを貼っておいた。めちゃめちゃ有難いと兄嫁さんは今でもお礼を言ってくれる。実家の方はもうどこにもないタオル巻いて出るしかない覚悟を決めたと言っていた。

夫の職場では1週間に1枚だけマスクが支給された。それを溜めておいて洗濯して繰り返し使った。
ドラッグストアには行列が出来ていた。恐怖だった。
なんとか1箱買って買えなかった姑に半分渡した。
困った時はお互い様の条件を満たしてくれないが放っておくわけにもいかない。いい時だってあるんだ。恨みを買うよりはいいと思って差し出した。

今でこそ5類に移行したが、当時は未曾有のウィルスだと言われて、赤子を連れておいそれと出かけることが出来なくなった。支援センターは閉鎖された。もともとほとんど行かなかったけれど、誰とも話が出来ない生活はつらかった。

だけど、公園やオープンエアーの場所で人がいなければ息子を出来るだけ遊ばせた。幼児期に砂場で遊ぶを色んな菌に触れて強くなる説を信じていた。
ママ友はほとんど出来なかったし、インスタで繋がっている元同級生の方が子育てに関して深い話が出来る。近くの他人より遠くの旧友。

それ以上にポケモン友達がいたことが大きかった。レイドの5玉が集合の合図で、会えば息子をあやしてくれた。可愛がってくれた。あの時優しくしてくれてどれだけ救われたか。ディスタ~ンス、ディスタン~スと愉快だった、それくらいのユーモアがないとあの難局は乗り切れないかった。あの恩は忘れられない。

料理の話に戻そう。
私は料理がとにかく苦手だった。決まったものしか作れない。
独身時代は仕事の急がしさを理由にいつも総菜か弁当を購入していた。
レンジでチン出来るお米はひと月分は買い置きがあったし袋麺も収納いっぱいにあった。買うものと言えば卵くらいだった。卵は完全栄養食。絶対的な信頼があった。

同じ部署で自宅でバジルを栽培し、丁寧なお弁当を流行りのまげわっぱに入れて持参していた。そんな暮らしが出来る先輩がいることが信じられなかった。よくよく聞くと実家ぐらしだった。一人暮らしのアリエッティにはバジルは無理だ。その人にもらったワイルドストロベリーは実をつけたが腐って落ちた。本当に申し訳ない気分になった。

出張も多く自炊するにも野菜は買ってもしなびるし腐る、しまいには液状化する。玉ねぎも青々とした一本ネギのような角が生えた。腐って一番臭かったのは断トツでニラ。

今でこそ梅仕事をするくらいには主婦になったがとにかく料理が苦手だった。そんな中、乳児がいるなかで決められたメニューをつくるタスクが追加されたことで私のストレスはMAXだった。

姑には「息子ちゃん(夫)もちゃんと食べてる?」と余計な一言が今でも思い出される。今思えばあの時1人前しか作らない量はわざとだったのかもしれない。しかもメニューブックには調理時間20分と書いてあるのに私は小一時間かかっていた。ジャロに訴えたろか。過剰広告反対。料理苦手な人に基準を合わせてくださいませ。

ベビーカーで近所のスーパーに食材を購入できるようになったタイミングで、我が家を担当してくれていた配達員さんが退職した。それを機に辞めた。お世話にはなったが産後の食事事情はあまりいい思い出がない。

人に意地悪してはいけない、特に食事に関しては恨みを買うと思う。
自身でくらって分かった。
もしも息子が結婚して、嫁が食事を求めてきたらどんなものが食べたいかどれくらいの量が欲しいのか聞いてルマンドの一袋でもつけてあげたい。
そして産後無理をしたせいで、悪露が半年以上続き時には発熱もした。

産婦人科には無理しないことと言われて助産師さんからの指導も入った。
だけど、それは無理だ。実質夫婦2人で子育てするには過酷すぎる。夫はかなり協力的でもあんな思いをした。夫が超絶料理が出来る過程だったらまた事情が変わったかもしれん。優しかったし、ありがたかったが、あの時期の記憶と育児日記には他人からしてもらった恩がたくさん書かれている。

子どもの頃から祖母や母に「女の子は実家の近くから離れちゃいけん。公務員になって地元で結婚し、そうじゃないと本当に苦労する」と言われ続けたのにそれを無視して他県で就職し、出産した。自業自得の結婚と出産。

だから子どもが増えないんだなぁ…出産は超痛いし産後は地獄と天国の行き来だ。とにかく産後の食欲は恐ろしい。


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無印良品のポチ菓子で書く気力を養っています。 お気に入りはブールドネージュです。