ピアノの名曲「愛の夢 第3番」(リスト作曲)。その原曲にある意外な怖さとは?
「あなたが好きなピアノ曲は何ですか?」
そのアンケート結果において、フランツ・リストが作曲した「愛の夢 第3番」は、必ず上位に入るであろう。
世の中に数多くあるピアノ曲のなかでも、抜群の知名度と人気を誇る作品である。
しかし、この作品、最初からピアノ曲として作られたのではない。
すでにあった別の曲をピアノのために編曲したものである、ということはあまり知られていないことだ。
そして、その別の曲、ピアノ曲に編曲する前の原曲、を聴いてみると
「あれ、ピアノ曲とは、かなり様子が違うぞ」
というところがあるのだ。
そして、その様子が違う部分は怖さを秘めているのである。
なぜ、リストはピアノ曲に編曲する際、原曲どおりに編曲しなかったのだろうか?
もし、原曲どおりに編曲していたら、いまのような名曲になっていのだろうか?
そんな疑問が浮かんできた。
●ピアノ曲のなかでも抜群の知名度と人気を誇る名曲
「愛の夢 第3番」は、リストが作曲したすべての作品においてだけではなく、すべての作曲家のピアノ作品のなかでも抜群の知名度を持つ名曲であろう。
その理由は、短い作品の中に美しい旋律が感情と共に駆け上がるような盛り上がりを見せること。まるで溢れる愛の中で陶酔するようなロマンティックな音楽がギュッと凝縮されているからであろう。
●元の曲はリストの歌曲だった。
しかし、「愛の夢 第3番」は、ピアノ曲として作曲されたものでは無い。原曲はリスト自身が作曲した歌曲である。
その歌曲は当然ながら有名ではないのでピアノ曲だけが知れ渡っている。
「O lieb, so lang du lieben kannst(おお愛せよ、愛することができる限り)」(詩:フェリディナンント・フライリヒラート)
という歌曲がその原曲である。
「愛の夢」というタイトルではないが、こちらも愛が満ち溢れるような、強烈なタイトルである。
●原曲の歌曲版はどのような作品なのか。
当然ながら、歌曲版は歌手の歌声が入ることがピアノ曲版との大きな違いである。しかし、ピアノ伴奏も含めて、有名なピアノ曲版とほぼ同じ感じで違和感はない。
歌曲版はどのような歌詞が歌われているのだろうか?
その冒頭部分は
美しいメロディが、流れるように伸びやかに奏でられる冒頭部分には、このような意味が秘められているのである。
音楽は静かに流れるが、なんとも情熱的な詩である。
その後の馴染みある旋律の中で歌われる意味をまとめると、このような意味である。
曲は途中転調する。
もちろんピアノ曲版でも同じだが、これまでの静かな、内に秘めてきたような感情が、ぐっと熱く高まっていくようなところ。
いちばん盛り上がりを見せるこの部分は、このピアノ曲版でも大きな聴きどころのひとつと言ってもいいだろう。
この部分は
という強いメッセージが歌われているのである。
●ピアノ曲版では聴けない、怖さを秘めた部分
歌曲版を聴き進めていくと
「あれ、ピアノ曲版とかなり違うぞ」
という部分が突如現れる。
ピアノ版はその高まった感情を引き継ぐように明るい「長調」でさらに高まっていくのだが、歌曲版は突如暗い「短調」が現れる。
良く知っているピアノ曲版のつもりで聴いていると雰囲気がガラッと変わってしまうことに驚く。
そしてこの部分で歌手は、なにか人に諭すように、プツリプツリと音楽が切れ切れになって歌われる。
気を付けろ!いくら愛を尽くしたとしても、悪口っていうのはすぐ出てしまう。すると、愛はいとも簡単に去っていってしまうのだ。
「愛の夢」、ではなく「愛が夢」となって去ってしまう。
ピアノ曲版には現れることが無い、溢れる愛に包まれて幸せ!というだけではない、愛が持つ、その先にある怖さ、人間の弱さ、を警告する。
原曲の歌曲版には、そんな恐ろしい部分があったのである。
リストはピアノ曲版として編曲する際に、この部分を、敢えて外してしまった、ということである。
曲の最後。ピアノ曲版同様、最初歌われたこの歌詞が最初のメロディと共に再び歌われて、名残惜しいように静かに終結する。
●なぜピアノ曲版に編曲したのか。なぜ一部分を編曲しなかったのだろうか。
リストはこの作品の様に、作曲するだけでなく、他の作曲家の作品を含めて数多くの編曲を行っている。
なぜ、リストは、すでに作曲したこの歌曲をピアノ曲版「愛の夢 第3番」として編曲したのだろう?
そして、なぜ編曲する際に、その歌曲を全てそのまま編曲することはしなかったのだろう?
その理由は、残念ながら調べた限りではわからない。
恋多きリスト。
この歌曲版は作曲された頃、長きにわたり同居生活を送ることになるカロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と恋に落ちた。情熱的な歌曲が生まれたのは、きっとこの恋が発端だったのかもしれない(1847年)。
ピアノ曲版に編曲されるのは、歌曲版作曲からしばらく経った1850年であるが、既にリストはピアニストとしての活動はしていなかった。ヴァイマールの宮廷楽長の地位を得たものの、あの伝説的なピアニスト時代のような活躍はできなかった。
この作品をピアノ曲版に編曲した理由。歌手がいなくても自分ひとりで弾けるピアノ作品にすることで、カロリーネに対する愛を常に感じていたかったのかもしれない。
そしてあの警告するような部分は、どう考えても、ピアノだけでは音楽がプツプツと止まってしまう不自然さが残る。カロリーネに対する愛を高めるためには除かなければならない部分であったのだろう。
もし、ピアノ曲版も歌曲版と全く同じように、この警告部分も含めて100%編曲されていたら、誰もが知るほどの人気を誇るこの名曲は、ここまで人気を得ることはできなかったかもしれない。そう思うのである。
そして、今後「愛の夢 第3番」を聴く際は、歌詞は出て来ないものの、歌曲版で歌われるような、情熱的な詩が背景にあるのだ、と思って聴くと、さらにこの作品の良さがわかるのではないだろうか。
●「歌曲版」=「O lieb, so lang du lieben kannst(おお愛せよ、愛することができる限り)」
●「ピアノ版」=「愛の夢 第3番」
※ Frauke RietherによるPixabayからの画像
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