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鬱陶しくて好きではない6月になると思い出す、あるバンドのこと

6月は好きでない。
春でもなく夏でもない、どっちつかずの季節。雨の日が多くていつも天気予報を気にしている。外出するときに雨が降るのか、降らないのか、どっちなのか。そんな鬱陶しい6月は好きではない。

でもそんな6月になると、あるバンドのことをふと思い出す。

今思えば、毎日毎日「よく飽きもせずに!」とあきれてしまうほど、昔はそのバンドの曲を聴いていた。それでも飽き足らずにコピーバンド、というには恐れ多いレベルのものだったが、自らそのコピーバンドを組んでそのバンドの音楽を奏でていた。

昨年6月、棚の奥から取り出されたそのバンドのCD。聴き終わると再び棚の手前に置かれたが、その後聴いた別のCDたちに紛れて積み重ねられ、順次押し込まれ、再び棚の奥の方にあった。そんなことから分かるように、今ではその程度でしかそのバンドの音楽を聴いていない。

そのバンドの名前は「オフコース(OFF COURSE)」と言う。

なぜ6月になるとオフコースを思い出すのか?

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彼らは1982年6月、同じ年の1月にスタートした全国ツアーの締めくくりとして日本武道館で10日間連続のコンサートを行った。それは日本のミュージシャン憧れの公演会場である日本武道館の歴史において、初めてとなる大きな試みであった(1989年、HOUND DOGが15日連続公演でこの記録を破る)。そしてその最終日の1982年6月30日。この日の公演を持って彼らは予告することなく、長い活動休止期間に入ってしまったのである。

いつからだろう。「オフコース」というバンドを知り、毎日飽きもせず彼らの音楽を聴くほどに惹かれていったのは。

正直、よく覚えていないのである。何か「きっかけ」があって、ということではなく「いつの間にか」なのである。

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オフコースの大きな魅力。それは「コーラスを伴った美しいハーモニー」。「印象的なイントロやフレーズ展開」。そして、それに加えて「2つの対照的な雰囲気を持つ音楽をひとつのバンドで聴ける」ことだろう。

優しく柔らかい、時に少し影がある小田和正の音楽。ギターをメインとしたロックテイストが強い鈴木康博の音楽。「柔」と「堅」。

小田和正の詩の一人称は「僕」。鈴木康博の詩の一人称は「俺」。というのがそれを表す。

(個人的には、松尾一彦による、ちょっと軟派な世界が少し加わったことでさらに幅が広がったとも思っている。)

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まず、彼らの存在を知ったのは、彼らの最初のヒット曲「さよなら」(1979年)だろう。ヒット曲なのでラジオからよく流れていたのを記憶している。でも、その時にオフコースに惹かれたのではない。

「もう、終わりだね」。こんな出だしで始まる曲は聞いたことがない。絶望感満載で開始される歌である。なんだか「優しいけど、暗くて、悲しさに満ちた歌」というのが正直な印象だったように思う。まだ中学生になったばかりの頃。歌詞のような大人の世界など経験したことがないので「さよなら」の世界観はピンとこなくて当然だっただろう。でも「もう、終わりだね」と、「さよなら」が繰り返されるフレーズがやたらと印象に残ったのは確かだ。

そんな「優しいけど、暗くて、悲しさに満ちた歌」を歌っていたオフコースの世界にいつの間にかハマり、さらにもっともっと彼らの世界を追求していきたい、と思っていた1982年頃。でも、1982年6月30日のコンサート後、活動を休止。そして、鈴木康博が脱退するという衝撃的な展開となる。

「さらにもっともっと、彼らの世界を追求していきたい」と思っていた期間。それは、間違いなく、それまでの彼らの活動の中においては、本当に短かい時間ではあるが、自分がオフコースというレールに乗って、さらにスピードを高めていく過程において、突如レールが途切れたような状態に思えた。

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このコンサートには行っていない。当時はまだ現代のようなネット社会ではない。だから情報がTwitterなど一般の人を介して即、そして大量に伝わるような時代ではなかったが、コンサートに関して伝えられる情報も少なからずあった。

「言葉にできない」で小田和正が涙で思わず歌に詰まってしまった。曲の最後にはステージ背景に映された大きなひまわり畑。そして「We are」「over」という、これまでの2つのアルバムタイトルに続き「Thank you」と文字が浮かび上がる。これが「我々は」「終わった」「ありがとう」と読める。この2つのことが「オフコースは解散する」という、一部にはあった噂に、さらに火をつけたようだ。

コンサートの前にリリースされていたアルバム中の「言葉にできない」でも最後のフェードアウト部分に「We are、over、・・」と聴こえる。「・・」は正直よく聴こえないが、コンサートで映った文字からするとやはり「Thank you」なのだろうか。

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コンサート後の長い沈黙。しかし、ほとんどのテレビ出演を拒んできた彼らが、突如「NEXT」という自主的なテレビ番組を作ったことも、彼らからの何か大きな意味を感じた(1982年9月放送)。「NEXT」=「次」である。だから「解散なんてきっとしない。また、次の新たな曲を作ってくるさ」と思えた。

彼らのライブにもまだ行ったことがなかった。だから次のライブツアーには絶対行きたい。初めて聴く彼らのライブの場所。それはやっぱり日本武道館だ。

「NEXT」が放送されてから、6月30日のコンサート全体の様子が全国各地でフィルムコンサートとして公開された。でも本人たちがいない会場で、見る側はどのように対峙すればいいのか。映画の様に静かに見るのか?よくわからず行くのを見送った。

1983年。コンサート映像はビデオ商品としても発売された。幸いそのビデオを買ったという友人がいて貸してもらい、見た。あの「言葉にできない」をテレビ越しに目の当たりにすると、やはりこのまま「解散するのではないか」という噂が現実になるのではないか、と思えてきて仕方が無かった。彼らのコンサートの様子を初めて映像として見たのは感動的であったが、悲しさが残ったように思った。

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まだ手元にあるビデオの予約用ハガキ(裏面に必要事項を書いて送る)。欲しかったがさすがに18,000円は厳しかった。予約特典がオリジナル乾電池と言うのが時代を感じる。

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1984年。長い沈黙の後、オフコースは噂を覆して、解散することなく、4人で活動を始めた。

1985年6月。日本武道館ではなかったが、とうとう初めて、彼らのサウンドを生で浴びた。開演前のドキドキ感と緊張感。ステージがフル照明の眩しさに転換し「恋人たちのように」のイントロが始まる。痺れるような体験。待っていたオフコースの姿とサウンドは4人であったが。

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発売日の早朝から並んで手に入れたチケット。今と違い、こういう形で残る昔のチケットはいい。

4人になってしまったオフコース。「さらにもっともっと、彼らの世界を追求していきたい、と思っていたオフコースと違って残念」という気持ちではなかった。もちろん鈴木康博の脱退はとても残念だったが。

でも、なにか吹っ切れたような、新しい形のオフコースの登場。その新しさは、例えば映像に積極的に取り組んだこと。プロモーションビデオではメンバー自身が役者として登場したのには正直驚いたが、これは「NEXT」ですでに試していたことの延長だろう。音楽と映像はセットになって世の中に広がり始めた頃でもある。海外進出も見据えた英語の歌詞による作品もリリースされた。

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1987年8月。活動を休止した1982年から5年後。日本武道館の客席にいた。そして巨大な空間に広がるオフコースの音楽に包まれていた。もちろん、あの1982年6月30日、同じ場所で行われた彼らのコンサートの模様がオーバーラップすることもあった。しかし、それよりもその時の新しいオフコースのステージを、冷静に、じっくりと楽しんでいる自分がいた。

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30㎝四方ある大きなパンフレットは、日本武道館の音を、空気を、吸っている。その後の長い時間経過による汚れも吸ってしまっていた。

この日本武道館のコンサートを楽しんだ後、次第にオフコースを聴く機会が減っていった。新しいオフコースを嫌いになったわけではない。

彼らが活動に大きな区切りをつけた日本武道館。そんな日本武道館でオフコースを聴きたい。その目的を達成してしまったからだろうか。それとも多感で気持ちの変化も大きい年齢を過ごしてしまって興味が変わったためなのか。理由はいろいろ考えられるが正直、よく覚えていないのである。毎日飽きもせず、彼らの音楽を聴くほど惹かれていったのと同様「いつの間にか」なのである。

◇ ◇ ◇

1989年2月、オフコースは解散した。
以外にも「とうとうその時がきたんだね」という感じで冷静に受け止めていた。

◇ ◇ ◇

今年も6月になった。
昨年より今年は雨の日が多いのだろうか、余計に鬱陶しく感じる。やっぱりまだ6月は好きにはなれない。

そんな6月は、オフコースが日本のコンサート史上で大きなことを成し遂げ、突如その活動に大きな区切りをつけた月。そして、オフコースの生の音楽に初めて触れた月である。

今年もまた、あのバンドのことを思い出し、棚の奥からCDを引っ張りだし、聴いた。毎日飽きもせず聴いていた音楽の数々が、あの熱を帯びた時代のことを思い返してくれる。6月の春でもなく夏でもない、雨が降るのか降らないのか、どっちつかずの季節の中、「柔」と「堅」、2つの性格のはっきりした音楽でその鬱陶しさをしばし紛らわせることができるのだ。

今年は久しぶりに1982年6月30日の日本武道館コンサートの映像でも見てみようか。


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