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スーパービーダマンの思い出②実機と情報ページ編

先日、スーパービーダマンの思い出①漫画とアニメ編を書きましたので、その続きです。

実機の思い出


ビーダマンは全て兄のおもちゃであり、私はビーダマンを兄の監視の下たまに触らせてもらう・遊ばせてもらうという立場でした。そのため、実機の思い出は基本的に兄との思い出になります。

今でこそ実機も大好きなのですが、当時は漫画にハマってはいたものの実機にはあまり興味がありませんでした。それでも目の前で兄がいじっていたり漫画で見覚えがあったりすると、やっぱりちょっとくらいは触ってみたくなるわけです。特にバトルをするわけではなくそれぞれの感触を確かめるようにとりあえず何発か撃たせてもらって満足していました。
スパビー連載中にコロコロ自体は買わなくなってしまったのですが機体自体はずっと購入しており、1発しか撃てない初期ビーダマンからスティンガースコーピアスまでなんだかんだで全て一度は撃ったと思います。

フィクションと現実の区別はさすがについていましたので「漫画と全然違う!!」と思うことはありませんでした(ただしゴールデンビーダマンはもうちょっと何とかなったやろ)が、漫画では新世代のビーダマンが旧世代のビーダマンを圧倒的な差で凌駕しているのに対し、カスタムなどを私は一切しなかったのもあり現実では新しいビーダマンであっても見た目以外そこまで古いものと差がなく感じなんとなく「そっかー…(´・ω・`)」と思っていました。

しかし、そんな中衝撃的な機体だったのがバトルフェニックスでした。
当時力がないだか不器用だかで締め撃ちがほとんどできなかった私であっても今までの機体とは明らかに違う高威力で発射することができ「これは違う!!」と驚いたのを覚えています。
バトルフェニックスは漫画の方でもその登場シーンに感動したこともあり、今でも一番好きな機体です。
ちなみに今ボンバーマン型とバトルフェニックスで締め撃ちせずに弾速を測ってみたのですが、ボンバーマン型が時速8キロ程度、バトルフェニックスが時速13キロ程度だったのでだいぶ違いますね。

普通は触れることのできない兄の持ち物の中で、ビーダマンだけは大好きな漫画に出てくるからということで特別に触らせてもらう状態だったため、とにかく壊さないようにということを第一に考えていました。
特に角が取れやすいと聞いていたスタッグスフィンクスや、上から叩くバーニングアトラスは本当に怖々触っていました。今でもビーダマンをするときにまず「壊さないようにしなければ」とつい思ってしまいます。今は特に高額になってますしね。

一度、確かワイルドワイバーンだったか、作りかけのビーダマンがあったので私にも組み立て方が分かるだろうかとこっそり見てみたところ、ニッパーの存在を知らなかったために組み立て方より先にランナーからどうやってパーツを切り離すのか?が分からずすぐに元に戻したことがあります。ものを切るといったらハサミしか思い浮かばなかったので「プラスチックをハサミで切り離すのは無理ではないか?」「力が強ければ可能なのか?」「もしかしてハサミ以外の道具があるのか?」「あるとしてもそれを兄(何故がビーダマンのことを兄以外に聞くという発想がない)に聞くと藪蛇になるので聞けない」と逡巡してすぐ諦めました。

ちなみに、自分用のビーダマンを買ってもらうという発想は全くありませんでした。ねだれば買ってもらえたと思いますし、ハイパーヨーヨーは自分用のヨーヨーを買ってもらったのに不思議です。
ただ、ほぼ全ての機体を兄が揃えていたため、なんとなく自分用を買って家に同じ機体が複数置かれるのは何か違う・美しくないと思っていた覚えがあります。

印象深かったこととして、決して楽しいだけではない、思い通りにいかないで悔しがっていた兄の姿があります。
パーフェクトハンターズのショットバレルを段ボールで自作しようと四苦八苦して結局できなかったり、ペットボトルマガジンのジャムりに苦戦したり、おもらしするユンカーユニコーンにキレたり、一応形にすることだけは出来たもののまともに連射をすることができなかったノーチラスポセイドンにキレたり、威力よわよわなバーストオライオンにキレたり、最初期から常に気を付けていたのについにジェミニでガラスを割ってしまったり、羽がほとんど組みあがった状態だったガーディアンフェニックスに物足りなさを感じたり、スマッシュトリガーは強いけどもう全部コレで良くね?と言ったり。
兄が友達とビーダマンで遊んでいるところや作ったりカスタムしているところは追っ払われて見せて貰えなかったため、むしろ悔しがったり悩んだりしていた姿の方が覚えているかも知れません。

ちなみに何故か私の友達とビーダマンの話をした覚えはありません。結構男子と遊んだり家に行ったりしていたのですが、ビーダマンをしていた子が少なかったのかなんなのか、とにかく兄以外とビーダマンに関して話をしませんでした。

情報ページの思い出

コロコロに載っている実機の紹介ページや大会情報のページも毎月見ていました。ただ、初期は比較的簡素で改造方法なども分かりやすかったのですが、PI以降どんどんパーツが豪華になったりするとカスタムが凄すぎて自分にはあまり向かないなと感じ、眺める程度で済ませるようになりましたね。今改めて情報ページを見るとこれ子供には無理だろという大人の本気カスタムがいっぱい載っておりだいぶレベルが高かったようです。それから、ロータリードライブシステムをハンティングリンクスにつける、メガキャノンウイングをコンバットフェニックス以外につける等、ある機体用のパーツを別の機体につけるのがなんだか気に食わなかった覚えがあります。

爆外伝についてはその存在を知らなかったので、何だろうと思ってなんとなく見ていました。

大会情報はいつも羨望の気持ちを持って読んでいました。
なにせおはスタも映らないど田舎に住んでいましたので、私が親に連れて行ってもらえる距離では、全日本ビーダー選手権もエキスパート大会も開催されることは絶対ありません。それでも「もしかしたら今月は近い開催地が載っているかもしれない」と思いながらページを開いてはがっかりしていました。せめて同じ県で開催されてくれれば行けなくてもなんとなく気持ちの慰めになるのに、と思ったものですが、私の県で大会が実施されたという情報さえも読んだことはありませんでした。見落としてただけかも?

それから、マスター攻略王が〇代目として別人に変わることについて、なんとなく現実臭さを感じたというか「このお兄さんも仕事でやってんだな」みたいな思いを抱いてちょっと面白さがありました。


子供の情報網の謎 他

ちょっと不思議に思っているのですが、「輪ゴムジェミニについてはあまりにも危険な改造であるため、信頼のおける人間にしかそのやり方を教えてはならず、特に年少者のいる前ではその話題すら出してはならない」みたいな雰囲気があったように思います。これ私のところだけ?
私が一度兄に「ジェミニを簡単に強くする方法があるって本当?」というようなことを聞いた時にはえらく怒られました。まあ上記の雰囲気をなんとなく察していて教えてくれないだろーなと思いつつ聞いたので自業自得なのですが。
当時はSNSはおろかネットもあまり普及していませんでしたので、子供の情報源といえばテレビや雑誌、口コミかと思うのですが、ジェミニの改造に限らず裏技的な情報や暗黙の了解がどうやって伝わっていくのか不思議です。



当時はそんなに実機が好きだったという意識はないのですが、分かっていなかっただけで実はかなり好きだったのかも知れません。それで当時色んな制約で満たせなかった諸々を、今になって大人パワーで満たしまくって遊んでいるっぽいです。楽しいです。


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