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【ビーダマンバトルは決闘】スパビーのカッコよさと少年たちの自治について

あけましておめでとうございます。

昨年5月に爆球連発!!スーパービーダマンを電子書籍で全巻読んだせいで、私のビー魂がなかなかエライことになっています。

以前、北条明は何故男のフリをしていたのかという記事を書きました。それは私がリアルタイムでスパビーを読んでいた時に一番疑問に思ったことだったのですが、そういった疑問に思ったことや印象的だったことが他にもたくさんあります。

その疑問の答えはどんなものなのか?印象的なところは何故印象的だったのか?そういったことを大人になった今書いてみたいなという気持ちがエライ湧いてきてしまいました。

私はコロコロ読者だった当時スパビーがとにかく好きだったのですが、好きな要素の一つに、その世界観がありました。スパビーはちょっとビーダマンの存在が大きいだけの、現代の(一応)普通の世界なのですが、妙に子供たちが大人びているというかカッコよく思えるところがありました。それには大会での頭脳戦の凄さがまずあると思いますが、それはひとまず置いておきます。何故あんなにカッコよく思えたのかあらためて考えてみたところ、スパビー世界におけるビーダマンバトルの位置づけと、少年たちの自治について思い当たったため、今回はそれについて書いていきます。


ビーダマンバトルは決闘

この世界のビーダマンバトルはどうやら遊び・コミュニケーションであると同時に、紛争を最終的に解決する決闘の意味合いがあるようです。

初めにそう感じたのは、7巻のビリーVS札月回を読んだときのこと。以下ストーリー。


ビーダーたちの掟を破ったために公園から追放されていた札月兄弟が、何故かまだ一般には流通していないはずのPIビーダマンを携えて、ビリーが仕切っている西公園に再びやってきます。そして超自然な流れでビーダマンバトルがスタート。

札月「オレは、お前に借りを返しにきたんだ。受けてくれるんだろうな。バトルはヘビー・カン・シューティング。前と同じで、負けた方はこの町から出ていく。」

えっ・・・なにそれ怖・・・。町から出ていくのは小学生には無理やろ・・・。

作中屈指のチート級技術力を誇る東の連射王・風のビリーも、さすがに汎用ビーダマンでは当時の最新鋭機PIビーダマンには歯がたたず敗北。機体性能の差を思い知った彼は、ガンマの家を訪ねて自分専用のPIビーダマンを制作すべく協力を仰ぐのでした。札月がPIビーダマンを持っていたのはJBAのミスのせいだったこともあり、ドクタータマノにも協力させて、連射とパワーの両方を兼ね備えたIPビーダマン・ブラストグリフォンを開発。

公園で暴君のごとく振舞っていた札月に再戦を挑みます。

ビリー「勝負しろ、鋭一。おまえが勝ったときは、子分になってやる。だが、オレが勝った場合、二度とこの公園に入るな」

激しいなオイ・・・。

札月お得意の卑劣なイカサマに遭いながらもビリーは快勝。公園に平和が戻ったのでした・・・。とまあこんな感じです。


当時の私は一応自然に読んでいたのですが、「いや、なんでバトルする必要があんねん」と思わずにはいられませんでした。普通に札月はマナーが悪いから公園に入るなで良くないかと。ビリーも言ってること正しいのにバトルで負けたら一回はコミュニティから追放されとるのはなんでやねんと。

だたまあ、それは外野の理屈であって、当の少年たちにはそれがルールなんでしょうね。言いたいことがあったらバトルで語れと。善悪ではなくどうしても譲れないことがあったらもうバトルで最終的な決着をつけるぞと。そういう少年たちの世界の秩序があって自治が保たれているんでしょうね。

ビリーVS札月回の他、猫丸VS札月回、かけるVS札月回、偽チームガッツ回、番長回もそういった感じでした。


子供かつ男の世界

文句があったらビーダマンバトルで語れという独特のルールは、子供の世界独特のものです。スパビー、基本的に大人が登場せず、争いごとはこういったルールに従って子供たちだけで解決しています。

また、このルールかなりシビアなところがあり、かなり「とにかく勝った方が正義」的なところがあるんですよね。

9巻のかけるVS札月回を例に挙げますね。


ひょんなことからタマゴのバトルフェニックスを預かることになった、一般人代表枠キャラかける君。しかし、些細なことから因縁をつけれられバトルを介すことすらないまま札月にバトルフェニックスを奪われてしまいます。

タマゴもガンマも不在の状況。ドクタータマノに泣きつきますが、JBAはビーダー間の争いには直接関与できないとのこと。ただ、どんなビーダーでもハイスピードドライブショットを撃つことが可能なマスター攻略王スペシャルⅢをドクタータマノが貸してくれ、それで札月に戦いを挑みます。

かける「ゴメン。札月にインネンつけられて……。でも、うばわれたのはオレの責任だ。これは、オレの持ってるビーダマンとビー玉全部だ!こいつをかけて、おまえに挑戦したい!!オレが勝ったら、Bフェニックスを返せ!!」

バトルフェニックスの機体性能ならばイカサマも不要と、勝負を受けて立つ札月。しかし札月ではそのポテンシャルを引き出すことができず、結果はかけるの勝利。


かける、暴力で無理やりバトルフェニックスを奪われただけなのに、それを取り返すためにさらに自分のビーダマンとビー玉全てを賭けるというかなり理不尽な状況。ビリーの「子分になってやる」しかり、戦いを挑むからには負けたらそれなりのものを差し出さなければならないようです。

また、ビリーVS札月回でもそうですが、札月が持っているはずのない機体を持っていることに、みんな戸惑ってはいるんですが、それをどうやって手に入れたのか?はあまり追及されてないんですよね。不正な方法で手に入れた可能性が高くても、とにかくその機体は今所持している人間のものであり力なんだということなんでしょうか。そして、かける戦ではめずらしくしませんでしたが基本札月はイカサマします。そういう人間相手にでも勝負を受ける・挑むというのは、ある程度イカサマも込みで(決定的な証拠がなければ)札月の実力と考えられている気がします。

とにかく「言い分ややり方が正しいか?」というのは基本的には無力のようです。正しさは勝利で証明しなければなりません。

私これすごく男の秩序だなと思うんですよね。紛争当事者の人格や事情や勝負後のコミュニティへの影響は考慮されてない。

女の場合はこんなルール一辺倒にはなりません。良くも悪くもそのコミュニティの実力者や多数派から正しい、もっと正確に言えば優先するにふさわしいと思われる・みなされることが必須になると思います。

いやもちろん実際は男でも女でも色々な決着のさせ方があると思いますがイメージとして。


スパビー世界の少年たち、文字にすると当たり前ですが、子供かつ男の世界に生きてます。

紛争の最終的な解決はビーダマンバトルでつける(子供独自の決闘方法)

再挑戦はアリだが、とにかく勝敗が全てであり敗者は何かを失う(男の秩序)

子供なりにかなり厳しい世界に生きてますね・・・。でもこういう厳しさの中で、普通の子であるかける君でさえ戦っているところが、スパビー世界の妙なカッコよさの下敷きにあるのではないかなと思いました。実際の自分は子供ですので基本大人の保護下にあるんですが、やっぱり自立したいというか大人を一切介さない自分たちだけの世界って欲しいじゃないですか。現実では実質的に不可能なんですが、漫画の中ではそれが叶うので疑似的にその欲求を満たしていたんじゃないかと。そして、力や勝敗が全てだという決着のさせ方も、現実にはほぼないからこそ憧れをもって見ていたんじゃないかなぁと思います。


ちなみに、ダークマターの包摂についても一緒に書こうと思ってたのですがちょっと大変そうなのでまた気が向いたら書きます。

それから、チームガッツメンバーの頭の良さの違いについてもそのうち書きたいです。

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