キラキラしてない自分でもええじゃないか
いのちを生きる講座day2でした。
キラキラしてないと好かれない!
高校でのスクールカーストの痛みを思い出しながら
つよい思い込みのフィルターを見つけました。
キラキラしてないと本当に好かれないの?
本当にそうなの?と問われ
「そんなことなぁぁいいいい😭😭😭」
と泣いていた。
どん底のときも、仕事休職しても、退職しても、病んでても、メンヘラでも、拗らせていても……
ひとりではなかった。
誰かがいてくれた。
そんな状態の自分と居るときに、共鳴してくれる人がいた。
その人たちのことを無いことにしていたのか…
こどものように、えーんと泣いた。
それに、じぶんではキラキラしていると思っていた場面のことを
『キラキラは感じなかったけど、声かけてもらえて嬉しかったですよ!』とフィードバック頂き
笑いながら泣いた😂
全然キラキラしてなかった😂
自己認識と他者からの見られ方は全然違いました😯😦😧
そもそもキラキラの基準ってなんなんだいってことになるね。
あまりに強固な思い込みを握って生きていたみたい。
自分1人では気づけなかった。
当たり前のようにそのフィルターで世界を見ているから。
他者視点があるから気付けたなあ。
どんな自分でも、人と繋がれているし好かれているよ!
そんな世界はもうあるはずだし、つくっていけるよ!
キラキラしててもしてなくても自分のことが好きだよ!と自分に声をかけてあげながらもう一度泣いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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