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さびしんぼう

おいでませ。玻璃です。

私が通っていたのは仏教系の幼稚園。
本堂で集まるときにはお数珠を持って手を合わせていたのを思い出す。
今、仏教の教えを聴くとしっくりくるのは幼稚園での環境もあったのかもしれない。

幼稚園を卒園して春休みの間に私は7歳になり、明倫小学校に入学した。
明倫小学校は明倫館という藩校を起源に持つ日本有数の小学校だ。
小学校までは子供の足で徒歩約30分の道のり。
私の通学路は、萩の街を象徴する城下町の美しい白壁を眺めながらの通学で、今思えば贅沢でドラマのロケ地のような通学路だった。

入学時にランドセルの他に手提げ袋を用意しなければならなかった。
この手提げ袋、友達はお母さんの手作りが圧倒的に多かった。
だが、この頃特に忙しかった母に手作りする時間はなく、私の大好きだったキャンディキャンディのリバーシブルの袋を買ってくれた。
新発売のこの袋を持っている子は他にいなかったので嬉しいはずだが、私はとても寂しい思いでうつむいていたのを覚えている。

ある日学校の帰りにいつも通る書店の前で一冊の本に目がとまった。
お店の前に本が入れてある、ぐるぐる回る回転式の本ラック。
その中にディズニーの『ダンボ』の絵本が新しく置いてあった。
これが欲しくてたまらず、家に帰って早速母にねだった。
だが、忙しく旅館中を走り回っている母は

「今度ね」

というばかりで取り合ってくれない。
それでもしつこく母の後を追いかけまわして、泣き叫び悪態をつき始めた。
私の中ではダンボの絵本はもうどうでもよくなっていた。
話を聞いて欲しかった。
かまって欲しかった。
手を繋いで本を買いに行って欲しかった。
なにより寂しかった・・・。

この事だけでなく、私の中に満たされない母への思いが時々爆発した。
わがままを言ったり、泣き叫んだり手が付けられないほど暴れたこともあった。
そんな時、母は旅館と喫茶店の間の通路にある階段下の暗い倉庫に私を閉じ込めた。聞き分けのない私へのお仕置きだ。

バタン!と倉庫のドアを閉められたら中は真っ暗で、湿った嫌な匂いが立ち込めている。怖い思いの正体は、幽霊なのかネズミなのかゴキブリなのかわからないが小さな私は黒い恐怖のベールに包まれた。
「ごめんなさい」が言えずに倉庫の中でもひたすら泣き喚いていると、見かねた祖母のトメが

「昭ちゃん!ええ加減にしぃ!!もう玻璃ちゃんもわかったから出してあげんかね!!」

と今度は祖母と母の喧嘩が始まる。
結局は祖母に出してもらっていたが、今でも閉所恐怖症なのはここからきているのかもしれない。

そんな中でも当時の私にとって楽しかった思い出、それは参観日だ。
都合がつかない参観日は姉が来てくれることもあったが、学期末は母が来てくれた。
その帰りに小学校の前にある市役所の一階のレストランに立ち寄り、大きなエビフライとふっくら丸いハンバーグの乗ったお子様ランチを食べた。
嬉しくて美味しくてニコニコが止まらない。
食べ終わって駐車場まで手を繋いで歩く間も歌いながらピョンピョン跳ねた。

その時の私が一番欲しかったものはこれなのだ。
母と繋ぐ手のぬくもりと私の事をまっすぐに見つめて話を聞いてくれる時間。優しい時間の感触を今でも眩しく覚えている。

ではまたお会いしましょう。

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