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「子どもの看護師」は「家族の看護師」

家族の想い

もう10年近く前、まだまだ病棟で夜勤をしていた頃。退院するご家族からお手紙を貰ったんですね。
「あの時、お母さん寝てくださいね。寝て大丈夫ですよ、看に来ますから。
そう言ってくださって本当にありがとうございました。」

その言葉を読んで思い出したのは、とある夜勤の日。
アラームが鳴ってカーテンを開けたら酸素を当てようと必死になって疲れ切ったお母さんの顔。やっと寝たであろうお子さんもぐずぐずしだしてて。
モニター止めて酸素の位置を調整してお子さんが寝付くのを一緒に待ってた。寝付いて離れるときにそういった言葉をかけた気がする。
「気がする」というのははっきりとは覚えていないから。
というか、私の中ではこの声掛けは当たり前のこと過ぎてお礼を言われて何だか驚いてしまった気がする。
読み進めていくと入院中機嫌の悪い我が子、昼夜構わずにピーピー鳴るアラーム、泣かさないことに必死で眠れなかったこと、周りのご家族との閉鎖された空間、入院中の付き添いが本当につらかったことなど沢山の想いが書いてあって。
業務に追われてしまってケアがお母さん任せになってしまっていたり、しんどいとかつらいとかの言葉を吐き出すこともできなかった1週間前後の日々。
逆に申し訳ない気持ちになったのを覚えてる。

病状=訪問看護ではない

依頼を頂くときに週に〇回くらいで大丈夫だと思いますと言われることがあるのだけれど、この回数って病院側が病状的に判断していることが多いのですね。
病状的には落ち着いて帰るわけなのでそれはそうなんだけれど、お家に帰ったら家族には生活があるわけで。
病院での生活と自宅での生活は別物として考えていないと必要な支援のタイミングを間違えてしまうのです。
病状が安定していることと訪問回数はイコールにはならなくて。
なぜなら、帰宅したら日常生活の中に医療的ケアと育児があるわけだから。
医療的ケアができることななることで命を守る生活はできるかもしれないけど、実生活が安定するわけじゃない。

「大丈夫」は大丈夫じゃない

コロナ前には試験外泊なる在宅に帰る練習が出来ていたのですが、最近は院内外泊になってしまいました。
院内外泊の目的は入院中に指導したことが自宅に帰ってもできるかどうかと評価することが目的。
この院内外泊までの間に指導されてきた内容が本当に理解できているかどうか?って結構大事。
院内と院外の大きな差は「おうちの生活とは違うこと」。家事も育児も院内ではしなくて良いけれど、お家ではそれをしながら生活をする。それを経験してから帰る事が出来ていると、できる出来ないの可視化が鮮明になるのです。
あと、これは実際によくある話なのですが、医療者って無意識にクローズドクエッションで聞きがち。
理解できているかの確認の時に「大丈夫ですか?できますか?」と聞くと大体「たぶん大丈夫です」って答えが返ってくるので注意が必要なのです。
私もそうなので、自戒を込めて…

分からないことが分からない

大丈夫って言ってしまう理由第1位と最近よく思います。
ほんとこれにつきます。
家族は医療者ではなくて普通のどこにでもいるご家族です。
医療知識が最初からあるわけでもなければ、
今の状況が受け入れられているわけでもない。
必要だから必死で覚えている。怖さや不安と闘いながら。

自宅に帰りたい。付き添いもしんどい。
きょうだいさん大丈夫かな?
でもおうちに帰ったらこの子の命を守れるのか。。。
頑張らないと帰れない、しんどいな
他にもきっといろんな気持ちがあるわけで。
そんな気持ちの中で大丈夫か聞かれても、
疲労困憊で答えられないことも多々。
何が分からないのかも本当にわからないからとりあえず大丈夫と答えてしまうという心理は、誰にでもある。
病院という、ご家族の中では医療者に囲まれたアウェイの状況なら尚更。

こどもと家族の訪問看護

私はおうちに帰ってくるご家族に「まずは3日頑張りましょう」と話します。
大体のご家族はキョトンとした顔。
家族の希望に合わせて初回訪問の日を退院後最低3日後までに設定。
ご家族のやる気や出来る気持ちを削がない様に、まずはやってみる気持ちを受け止める。
勿論、いつでも連絡を貰えるように訪問開始が出来る状態を作っておきながら進めるし、
地域への連絡も同時進行。
この子が地域に帰ったこと、みんなで支える環境を作りながら待つ。
だいたいの肌感だけど、初産でも経産婦さんでも、医療デバイスがついて帰宅したお子さんのご家族は大体この3日間の記憶がないことが多いのです。
必死に生活をしているから。
実際の生活をご家族と可視化したときに、この家族に必要な支援が何か?を具体的に一緒考えたり整理をする。
こどもたちの状態の観察とともに家族の生活や身体的・精神的フォローをするのが小児訪問看護。

本当の意味での大丈夫を言えるように…

みんないつかは卒業する。
だからこそ、最初は手厚くフォローしながら、出来なくて当たり前であることを伝えていく。
出来ないことが悪いのではなくて、
病院とお家の生活が違えば、みんな違う。
病気がおなじでも経過も違えば環境も違う。

聞きたいことを聞ける環境を作る
医療者が安心のために投げかけた言葉を「どう大丈夫なのか」を分かりやすく伝えていく。
忙しいのは勿論あるけれど、忙しいを理由にしたらいつまでも解決をしないのも医療。

それを繋げていくと自然と受診回数が減るし、ご家族の力で対応出来るようになっていく。
分からないことが言語化出来るようになって、質問できるようになる。

また分からないことが出来たら、その時はまた同じようにすすめていく。
その時には力が着いていることが多いから、私たちは補助するだけのことも多くなる。

…まだまだ精進します。




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